旧聞に属するが、4月28日付東京新聞夕刊の藤島大さんの連載コラム「スポーツが呼んでいる」を面白く読んだ。 「本年1月、新潟県の中学生フットサル大会において、とある公立中学の教頭でもあるサッカー部コーチが、決勝トーナメントで難敵を避けるために『わざと大敗しろ』と指示した。生徒たちは忠実に実行、6連続オウンゴールを記録するなど0−7で敗れた」 日本サッカー協会はそのコーチに1年間活動停止処分を決めた。また、新潟県教育委員会は減俸1カ月の懲戒処分を課した。 この“事件”に誘触発されて、藤島さんは2つの“事件”を思い出している。ひとつは'92年夏の甲子園の星稜−明徳義塾戦で、星稜・松井秀喜選手が無走者のときも含めて、5打席連続敬遠された試合、ふたつ目は'85年、阪神バース選手が王のホームラン日本記録にあと1本と迫った最終試合、巨人・投手陣が全打席敬遠したことを思い出している。そして、スポーツにおいては「『合法か否か』より上位概念の『きれいか汚いか』。ここにスポーツの価値がある。・・・相手チームと選手、そして自分の教え子たちの『スポーツに燃焼する権利』を奪ったのがきれいでないのだ」と言うのに、私は同感する。 このコラムを読みながら、私が思い出したのは“バース敬遠事件”の2年後、早稲田の中心打者・T選手が早慶第3戦に出場しなかったことだ。第2戦までに東京六大学リーグ史上最高打率をマークしたTは、打率が落ちるのを恐れて、シーズン最後の試合を"敬遠"したのである。Iという監督の指示なのか、本人の意思なのか分からないが、とにかく出場しなかった。野球少年であった私は、甲子園に出て次は早大に入り、神宮球場の早慶戦に出場することを夢見ていた。その夢は16歳で肩を痛めて、あっさり雲散霧消してしまったが、そんな私の目から見れば、Tの早慶戦欠場はもったいなくて涙が出る。信じられない行為だ。秋山、土井、近藤和、杉浦、長嶋、本屋敷、星野、田淵、山本など、スターがキラ星のように輝いていた高いレベルの時代ならまだしも、Tの頃の六大学のレベルははるかにダウンしている。そこで史上最高打率を残すことに、どれだけの価値があるのか。記録にこだわるよりも、早慶戦に出場することこそ、野球人の喜びであるはずなのだ。早慶戦に出たいという少年の初心はどこへ行ったのか。勝つための戦術としてではなく、ただただ記録のための欠場に、私は心底がっかりした。 プロ野球の首位打者争いでも、昔から打率を落とさないために試合を欠場することが、珍しくない。西鉄ライオンズ時代の中西、豊田の毛差の争いの頃から、そんな事例はいくつか見てきた。IとTはそのような前例を参考にしたのかもしれない。 他人との相対的な関係で決まってくる打率ではなく、ヒットの本数を重視して年間200安打を目標に打ちつづけるイチローの素晴らしさは、こんなところにもあらわれている。 |