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vol.450-1(2009年5月26日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
“記録の神様”宇佐美徹也さんを悼む

 プロ野球“記録の神様”宇佐美徹也さんが、5月17日に亡くなった。76歳。新聞に小さな死亡記事が出た。「パ・リーグ記録部公式集計員。報知新聞記録部長を経て日本野球機構入り。『記録の神様』と呼ばれ、『プロ野球記録大鑑』などの著書がある。」

 宇佐美さんには何度か原稿を頼んだことがある。小柄な物腰のやわらかい人だったが、内に秘めた意志の強そうな正義漢、という印象が残っている。そういうシンの強さがなければ、1936年以来、プロ野球に在籍して、1試合でも出場した選手まで、すべての選手の生涯記録をまとめるという、目もくらむような作業はできるわけがない。昔の百姓さんのように、モミから苗を作り、1本ずつ田植えをしていくような苦しい作業だったであろう。

 もっとも忘れられない「記録」エピソードは―1984(昭和59)年、阪神の福間納投手が、シーズン最多登板試合の日本記録を作りかけたときのことだ。それまでの記録は鉄腕・稲尾和久投手(西鉄ライオンズ)が、1961(昭和36)年に記録した78試合であった。中継ぎ・リリーフとして短いイニングで登板を重ねた福間投手は、シーズン終了間近、阪神はあと数試合を残していたから、あっさり78試合を更新しそうに思えた。そのとき、宇佐美さんは阪神・安藤監督に手紙を書いた。記録のために記録をつくらせる、という愚かなことだけはやめてもらいたい、稲尾投手の記録に敬意をはらってもらいたい、と強く訴えたのである。それに対して返事はなかったそうだが、福間投手のシーズン登板試合は、結局、77試合で止ったのである。

 宇佐美さんが言いたかったのは、稲尾投手の78試合登板の中身は、「完投25、勝利42、敗戦14、防御率1.69、投球回数404」という驚くべき充実ぶりの上にある78試合である、ということだ。福間投手の場合は「完投0、勝利4、敗戦2、防御率3.62、投球回数119.1」である。内容が忘れられて、登板試合数だけが稲尾投手を上回る、という数字の欺瞞性が許せない、と宇佐美さんは思ったのだ。いかにも正義派の宇佐美さんらしい行動だった。結果として、福間投手77、稲尾投手78となり、宇佐美さんの願いはかなえられた。

 宇佐美さんには「プロ野球 記録・奇録・きろく」(文春文庫)という、面白い著作がある。記録という一見冷たい数字のうちに隠された人間の真実を探り出すのが、記録の神様の仕事だった。この本の「あとがき」で、宇佐美さんは記録を見る自分の立場について、次のように書いている。

 「(この本の中で)筆者が柱にしてきたテーマは三つある。一つは、スコアカードの中に埋もれている記録を1つでも多く掘り起こしたいこと。二つ目は、選手個々がファンの目に焼きつけてきた名人芸の数々を、記録の様々な手法を駆使して表現してみたいこと。そしてもう1つは、内容のない形だけのインチキ記録や、作為に満ちた醜いタイトル争いや記録作りを排除して、プロ野球の記録を選手自身が誇り得る神聖なものにしていくための訴えを常に盛りこんでいくことだ」

 宇佐美さんの高い、清らかな志がよくあらわれたことばである。

 私は「プロ野球 記録・奇録・きろく」とともに、宇佐美さんの編著「ON記録の世界」(読売新聞社)を愛蔵している。

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