重さわずか450g足らず、ボール一つが織りなす「筋書きのない人間ドラマ」の熱気は、まだまだ続く。 しかし、「日本代表」のサッカーW杯は終った。「よくやった ありがとう」、「日本チームが元気をくれた」……。驚嘆、感動、賛辞の声が列島すみずみから沸き起こっている。
「大成功」だ。最終日を待たなくても、これはハッキリしている。スポーツ記者として約三十年、遠く札幌冬季五輪から内外で取材してきた数々の大会で、これほどまで急激にスポーツが「社会現象」化した日々に出合ったことは、初めてだ。
開幕前に注目していた一つが、日本戦以外のテレビ視聴率だった。四年前の仏W杯で、多くは3%から6%、決勝でも12%台。時差の関係もあっただろうが、日本戦だけは60%台が2試合と飛びぬけて高かったのに、だ。
この大きすぎるギャップは何を意味するのか。サッカーよりも特定の日本選手への関心。つまりは“ミーハー的にわかファン”。だから送り手側のテレビ局は、視聴率稼ぎのためミーハー向きに芸能人を動員しては、ワーワーキャーキャーの番組作りをする。スポーツのワイドショー化だ。
今回は日本戦以外でも高視聴率が続く。アルゼンチン・イングランドの41.6%を筆頭に30%前後が続出。仏W杯の実績と巨額放映権料の兼ね合いから全試合の中継を見送ったNHK・民放には、苦情が殺到しているほどだという。
ここにサッカーに対する関心度の成熟ぶりがうかがえる。とはいえ専門家の分析によれば男女とも35歳から49歳の年齢層、「オフサイドを初めて理解した、おじさんとおばさん」が、この高視聴率を支えているのが実態だそうだが、それにしても単にベッカム選手のヘアースタイルへの興味だけでは、視聴率をこうも押し上げないだろう。
「大会の成功」は、多岐多様な意味を持つ。日本がベスト16に勝ち進む快挙をやってのけたから大成功なのか。中継番組の視聴率がスポーツ番組で史上最高をマークするほどの社会現象になったといっても、あるいは一過性のブームに終るかもしれない。黒字だといっても、それは組織委の決算だけで、10ヶ所もの巨大スタジアムなど巨額の税金を含む投下資本が今後どう生かされていくのか。
スポーツあるいはスポーツ巨大イベントへの評価は、実はそれほど単純ではない。 サッカー愛好家や関係者には「大成功」でも、何の関心を持たない市民たちにとっては、逆かもしれない。この点は近刊の拙著「37億人のテレビンピック」(創文企画)をお読みいただきたい。
「スポーツは人類最古の文化だ」と声高にいう人は多い。これは否定しない。しかし、「文化って何ですか」と尋ねると口ごもる人が少なくない。
スポーツは「生活文化」、それ以上でも以下でもない。着るものが服飾文化なら食べるものは食卓文化と同じように、私たちの生活を豊かにし、心を癒し、和ませ、明日への元気を与えてくれる文化の一つが、スポーツではないのか。
視点は一つ、この生活者たる市民の、等身大の視点で今後もスポーツを見ていきたい。技術論はともかく、スポーツは生活感覚から離れ、「高み」から批評するものではない。 (須田泰明/スポーツニッポン新聞社編集委員)
スポーツ評論は時代とともに変わってゆくが、私は、常に、なぜか、どうしたらいいのか、を追求して行きたい。 この姿勢は常に変わらず新しい話題を投げかけるもの、だと思う。
スポーツは新鮮で面白い。そこには、必ずドラマがあり、感動がある。 その追求はたまらなく楽しいものではないか。 (松原 明/東京中日スポーツ報道部)
長野五輪後、競争力の低下した日本ノルディックスキー界は、ソルトレークシティ五輪ではっきりと今の世界でのポジションを認識した。 特にジャンプ界は歓喜、余韻、覚醒、不安、焦燥、敗北のサイクルを経て、今システム再構築に苦しんでいる。妥協で終わらせず、破壊から創生へ向かって欲しい。
2007年の世界ノルディック選手権の札幌開催が決まった。若い力とそれを育てる熱い指導者を見守り、サッカーW杯のような熱狂を日本にもたらす夢をともに見たいと思う。 (師岡亮子/スポーツライター)
(1)レポートではなく、ライターの眼で現実をしっかり見つめ、努力する人間を引き出し、驕る者にはお灸をすえて立ち直らせる。 (2) 団体や組織についても、新しいスポーツの創生を模索し提案する。 (早瀬利之/作家)
FIFAワールドカップは大盛況に幕を開け、大盛況に幕を閉じようとしています。 日本は初の決勝トーナメント進出を果たし、1回戦でトルコに0―1で敗れたのは言うまでもありません。最終結果に対する意見は人それぞれあるでしょう。それでも、日本列島を興奮の渦に巻き込んだ日本チームの健闘には心から拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。
ただ、マスメディアの報道に少しばかり物足りなさを感じています。 各国のサポーターの熱狂ぶりや、各国のテレビ番組がこの大会をどう報じているかという当たり障りのない部分は見られますが、こちらが気になる部分の報道はほとんどなされていないように感じました。
決勝トーナメント1回戦の延長戦前半、ドリブルで持ち込んだイタリアのトッティがペナルティアリア内で韓国の激しいディフェンスを受け転倒しましたが、シミュレーションの判定で2枚目のイエローカードとなり退場。VTRで確認してみてもトッティと韓国選手には間違いなく接触があり、わざと倒れたとは思えません。 勝負の明暗を分ける大きなプレーだったと言えますが、このプレーに関する報道はほんの小さな扱いにしか過ぎなかったのに疑問を感じました。実際にディフェンスでついていた韓国選手は、この判定にどう思ったのでしょうか。韓国のサポーターは?イタリアのサポーターは?レッドカードを出されたトッティはどんな気持ちで戦況を見つめていたのでしょうか。
また、ロシア戦であげた稲本のシュートもオフサイドかどうか微妙だったと感じました。稲本自身が「オフサイドかと思った」と言っているぐらいですから、VTRでじっくりと確認してみるような報道をすべきではないでしょうか。決勝トーナメント進出か否かを分けた1点です。ロシア側の見解も知りたいところです。
決勝トーナメントでも、トルコの先制点のシーンばかりがダイジェストで繰り返されましたが、そのワンプレー前に起こった中田浩二のパスミスは省かれて報じられていました。もちろん、敗因は中田浩二のミスだけではありません。しかし、このワンプレーがゲームの流れを大きく変えたことは間違いありません。中田浩二は何が原因でミスを出してしまったのでしょうか。トルコのフリーキックを守る日本選手の心理状態はどうだったのでしょうか。
スポーツ報道をしていく上で大切なことは、観ていた人が知りたかったこと、分からなかったことを、観ていた人にも観ていない人にも分かるように報じることです。
私たちがもっと詳しく事実を知りたいと思うシーンにこそ、スポーツの醍醐味、厳しさ、おもしろさが詰まっているのではないでしょうか。
もし、その上で稲本のシュートが事実上はオフサイドだったとしても、「ラッキーな得点だったな」と冗談を言える余裕があってもいいと思うのです。
つねに現場の声に耳を傾け、勝負の瞬間を正確に見極めていくスポーツ報道を心がけたいと思っています。 (高山奈美/スポーツライター)
日韓共同開催サッカーワールドカップ大会開催中の今、そしてまさに日本のスポーツにとり歴史的な瞬間となった日本代表決勝トーナメント進出の最中に本誌が発行100号を迎えるという意味は何とも興味深いものを感じる。
日本のスポーツ文化が熟成し更に進化する過程でワールドカップ開催は大きな足跡を記すであろう、同時にスポーツジャーナリズム、スポーツマーケテイングなどにおいても同様に様々な進歩を促すことになる。
本誌は常にタイムリーなトピックを鋭い論調で料理する個性的な専門媒体である。 寄稿者として常に新鮮な視点で執筆を心掛け読者に問題提起をしていきたい。 (市川一夫/スポーツライター)
『スポーツ評論について』 いくつかの五輪を取材して、忸怩たる思いが消えない。 最近の大会を見れば、シドニー五輪300種目、ソルトレークシティー五輪は78種目の競技が行われた。同じ数の金メダルを巡って様々なドラマが繰り広げられたこの一大スポーツイベントの全体像をどこまで読者に伝えることが出来たのか。
ご存じのように新聞紙面に踊る見出しは、日本選手中心である。どの国もこの傾向は同じだから、メディアの報道姿勢は世界共通なのだろう。もちろん国民的な期待が存在する以上、その読者ニーズに応える情報を提供することはメディアの責務である。
しかし、自国選手だけがクローズアップされた姿は五輪の全体像とはかけ離れている。 「幻想」と表現しては言い過ぎだろうか。
シドニー五輪の女子マラソン当日、読売取材班はほぼ総掛かりでレース取材に当たった。その同時刻に私はシドニー市内からかなり離れたボート会場にいて、日本ボート界史上初の五輪決勝進出を果たした軽量級ダブルスカルのレース取材を担当した。
その日はボート競技の最終日で男女エイトなど決勝レースが続いていた。テレビを通して日本中が高橋尚子選手の快走に興奮していたとき、私はボート会場を埋め尽くした満員の観衆の歓声に包まれていた。別の興奮がそこにあった。しかし、高橋選手の快挙を大きく紙面を割いて詳報した翌日の紙面で、その歓声を記事にすることはなかった。
今の五輪は「肥大化」、「行きすぎた商業主義」をキーワードに評論される。その評論の主体である報道側も全体像を伝えるつとめを怠った時に、五輪の安易な「商品化」を犯しているのではないか。
紙面スペースには物理的な限りがあり、ニュース価値、読者の興味に順列があるのも当然である。 しかし、忸怩たる思いは募る。 (井原 敦/読売新聞社運動部) (順不同) |