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100号記念メッセージ

■vol.104 (2002年7月17日発行)

【杉山 茂】 「見るスポーツ」には洗練された運営を
【糀 正勝】 パンチョ伊東さんのこと その2


◇「見るスポーツ」には洗練された運営を
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

体操と新体操のアジア大会代表選考会が同じ会場で行われた(7月5、6日・東京体育館)。

これまで“独立”していた両競技だけに、それぞれのファン、愛好者は、表面的には「面白い企画‥‥」とは言うものの、戸惑いを隠せない。日ごろとは違って、スタンドもやや“落ちつき”に欠ける。

関係者の一人は「会場の借用費が節約できるし、別々だったファンを“体操”というくくりで関心を持ってもらえる…」と、効果を説明してくれたが、見る側の姿勢は、まだ“別々”なのだ。

だが、こうした“合体”は、多くのスポーツで試みたらいい。

かつて、リゾートホテルのプールで、シンクロナイズドスイミングとダイビングの演技会が、夏の定期イベントとして開かれ、おしゃれなムードだった。新しいスポーツの“生きかた”の1つで、私は気に入っていたのだが…。

市民マラソンに代表される「公道開放」を、ウォーキングやインラインスケート、自転車などを加えた「総合ロードレースデー」にするのも手ではないか。

今回の体操・新体操は、いわゆるタイトルマッチだったが、むしろ、エキジビション性を前面に押し出したほうがファンの拡大を図れるだろう。トランポリン、アクロバティックなどを集めた国際大会が、数年前、東京で行われ、スタンドを賑わした記憶がある。

イベント成功のノウハウを得られれば、次はチャリティーやジュニア育成の資金集め、といった目的の範囲を広げられる。

スポーツ団体が、遅ればせながら、そのスポーツを「どう見てもらうか」、「どう楽しんでもらうか」に気づき、工夫をこらしはじめたのは嬉しい。

ただ、洗練された運営でなければ、観客の失笑を買い、「楽しさ」に水をさす。

2年ほど前から、対戦校の校歌をテープで流しはじめたある学生スポーツがあるが、音質や録音場所に気配りが欠け、"雑音"でしかない。

先週覗いたある球技の国際大会では、国歌(開会式用)のテープテストを、両国チームの練習時に場内へ流す無神経さだった。

見せる努力がなければ「見るスポーツ」は成熟しないのである――。

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◇パンチョ伊東さんのこと その2
(糀 正勝/インター・スポーツ代表)

日本プロ野球における読売ジャイアンツの圧倒的な人気は、プロ野球の歴史そのものに起因する。

日本で最初にプロ野球を創設しようと考えたのは読売新聞の正力松太郎氏である。戦後のプロ野球においても、読売新聞グループの圧倒的な資金力を背景に、長嶋茂雄、王貞治というスーパースターを獲得し、長くON時代を築き、巨人軍の9連覇をも達成した。

巨人軍の9連覇が、プロ野球のドラフト制度が導入された1965年からスタートしたのは、歴史の皮肉としか言いようがない。なぜならば、ドラフト制度は、「12球団の戦力の均衡」と「契約金の高騰防止」を目的としていたからだ。巨人軍9連覇は1973年に終わった。1965年の観客動員数は625万人で、1973年は765万人である。

1974年の優勝は中日、1975年の優勝は広島だった。この年、セ・リーグは初めて700万人台から900万人台へと観客動員数が飛躍した。観客動員数1000万人を達成したのは1979年(広島優勝)、1100万人を達成したのは1984年(広島優勝)である。

赤ヘル軍団・広島カープの優勝は、ドラフト制度の戦力均衡が現実的に活性化した証拠だ。同時に、巨人軍による優勝独占のみが、日本プロ野球の繁栄をもたらすわけではないことも見事に証明した。戦力の均衡による競争がプロ野球人気を呼び起した。

パ・リーグ振興委員会における最大の議論は、テレビ放映権に集中した。「熱パのキャンペーン」が始まった1981年から1990年まで、巨人軍のリーグ優勝は5回、日本一は1回だけである。それに対して、西武のリーグ優勝は7回、日本一は6回もあった。正しく、時代の風は「人気のセ」「実力のパ」であった。

「実力がありながらも人気が出ない。あるいは観客動員がそれほど伸びない。セ・リーグ以上の経営努力をしながらも球団経営が好転しない。」

この問題がパ・リーグ振興委員会の最大のテーマであった。セ・リーグとパ・リーグの人気の格差と球団経営の優劣は、一義的にはテレビ放映権問題でもあった。

巨人軍の試合は毎試合放映され、莫大な放映権収入が確保される。その試合結果は勝っても負けても、スポーツ新聞の一面に掲載される。

この格差を解決する方法は、パ・リーグ各球団の親会社の資金力を結集してパ・リーグ専用のテレビ局を確保する。あるいは圧倒的にパ・リーグ贔屓の新聞社と業務提携する。これしかないと私のような素人は発想した。

パンチョ伊東さんの説明によると、かつて、アメリカ・メジャーリーグにおいても各球団の経営格差が広がり、多くの球団が赤字経営に転落した。26球団中21球団が赤字だった。メジャーリーグのこうした破局的な赤字経営問題を解消したのが、ロサンゼルス・オリンピックを成功に導いたピーター・ユベロスである。ユベロスは新しいコミッショナーに就任して、「メジャーリーグのすべての球団は一つの運命共同体である」という信念のもとに、球団収入に劇的な変化をもたらした。それが放映権のリーグ一括管理である。

全国ネットの放映権をメジャーリーグが一括管理することにより、放映権の価値を一層高めることに成功した。その大幅にアップした放映権料をメジャーリーグの全球団に平等に配分した。これにより、すべての球団が赤字体質から脱却した。球団経営が改善され、チームが強化され、魅力ある試合が増えた。その結果、メジャーリーグ全体の観客数が大幅に増加した。

絶えず新しいイノベーションに挑戦する、これがメジャーリーグの経営スタイルであった。

残念ながら、日本プロ野球では12球団が一つの運命共同体ではなかった。セ・リーグとパ・リーグの利害は対立して、放映権の一括管理に関する話し合いは夢のまた夢であった。1試合1億円という巨人戦放映権は、セ・リーグ6球団がパ・リーグに譲れない既得権だ。

メジャーリーグが先行的に確立したメディア・パートナーやリーグ・スポンサーに関するアイデアは、パ・リーグ振興委員会では何度も議論されたが、決して陽の目を見なかった。

一方、1993年5月開幕したJリーグでは、パンチョさんのこのアイデアが採用された。――(次号に続く)

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