サッカーW杯2次予選、第1ラウンドのバーレーンにやっと勝って、日本代表は、アジア予選突破に光りが見えた。 「勝てばいい」という声が多いが、問題点が山積。前途多難の途上である。 問題点は、ジーコ監督が未だに日本語でコミュニケーションがなく、母国語で貫いている点だ。 外国人監督を雇えば、この言葉の壁は常につきまとう。だが、ジーコは鹿島アントラーズの前身、住友金属サッカー部の招聘で来日してから、すでに日本滞在13年。その国に10年余も住めば、言葉の壁はないはずなのに、ジーコは日本語を学び、理解しよう、としなかった。 言葉の壁、を如実に知らされたのが、イラン戦の後半21分、福西のゴールで追いつき、中村がベンチに飛んで監督にどうするか、指示を仰いだとき「攻めろ」と聞いたことだ。 ジーコ付きの鈴木国弘氏は鹿島時代からのコンビで練達の通訳だが「攻めろ、このまま行け」の言葉のニュアンスは、果たして、監督の真意だったかどうか?
あるいは「キープして引き分けでもいい」の思いもあったのではないか。 勝てば言うことはないが、敵地で最強のイランに勝ち点を与えないで、ともに勝ち点1で分けるのがベストの選択、だとすれば、悔やまれる残り時間ではなかったか。 1997年W杯予選の日本代表監督だった加茂周氏は「私は通訳を使わない。外国人選手とは常に、選手と1対1で話す」方針を貫いた。通訳をはさんでのやりとりでは意志の微妙な食い違いが出るのを恐れた、という。 鈴木氏普通の通訳以上にジーコの分身になっている存在だが、この一瞬の正確な伝達は極めて難しい、のを心配する。ジーコが日本語を自在に話せる人だったら。
日本サッカー協会・川淵キャプテンは、ジーコ就任のとき、日本人コーチを補助することを提案したが、ジーコは拒否。自分のファミリーでスタッフを固めた。 パイプ役がいないまま、時は過ぎていった。一時、代表に同行していた山本コーチは五輪代表監督に転出、アテネ終了後、協会を去った。 イラン戦での4バック変更に選手は戸惑い、意志統一のできないまま戦いを迎えては、勝てるわけはない。 長らく代表付きだった技術委員会の野見山篤部長は4月から配転。以前に、技術委員会幹事だった加藤彰垣氏が代表付きになった。 国際派・加藤氏の起用でパイプ役を強化する狙いの入れ替えだが、第2ラウンドへ、日本代表がさらに前進するかどうかは、ジーコの胸次第だ。 |