昔、地下鉄漫才というのがあった。「地下鉄の電車はどこから入れるのか、考えだすと夜も寝られない」と笑わせていた。それに似た感じをもつ。「スーパーじいちゃん」「鉄棒のおじさん」と言われる野末実さんのことだ。69歳で大車輪ができる野末さんは、CMになってテレビにも流れているから、見たことのある人も多いだろう。 この野末実さんのことが、なぜか気になるのである。私と同年(1936年)生まれだから、いっそう気になるのかもしれない。69歳になって、まだ大車輪ができる体力、それを続ける意志、スゴイと思う。でも、体を動かす健康法なら別にありそうなものを、なぜ大車輪一本ヤリなのか。ジョギング、水泳、ゴルフ、スキー、登山・・・、やろうと思えばできる楽しいスポーツはいくつでもあるにもかかわらず、なぜ50年、大車輪一筋なのか。それも人に見せるためではなく、ひたすら自分のために。 何でもないことのように見えて、しかし、ひょっとして人間存在のふしぎ、心身メカニズムの深みのようなところにつながる大車輪かもしれない。とにかく気になっていたところ、ありがたいことに、野末さんのインタビューに出会った。(東京新聞'05年1月14日付夕刊) 野末さんは中学3年生のとき、先輩が大車輪をやっている姿を見て、とても恰好いいと思い、練習を始めた。中学を卒業してセメント会社に勤めてからも、休日には学校の鉄棒で練習をつづけ、2ヶ月たったある日、突然、大車輪ができた。「逆さに見える風景がきれいに見えたのを、今もはっきり覚えています」 40歳すぎてからは、体力維持のため、毎日自宅近くの山道を6キロほど早足で歩き、腕立伏せ80回を日課にしている。伸張157センチ、体重42キロの体は、10代の時とほとんど変わっていない。体脂肪10%は、同年齢の人の半分。50年、飽きることなく大車輪一筋ですこぶる健康なのである。 65歳で退職。周りからゲートボールやグラウンドゴルフをすすめられたが、気乗りしなかった。老後の趣味として、盆栽や絵をやろうと考えたこともあったが、自分の好きなことは結局、鉄棒だった。鉄棒のおかげか、長年患っていたC型肝炎も、最近は薬がいらなくなった。 「ひょっとして80歳になっても大車輪ができていたら、自分の人生は最高ですね」と、最後に語っている。 恐るべき、あるいは夢のような無償の行為。人間の奥深くにひそむ「狂」のかたち? たしかに、健康にプラスにはなっている。思わぬTVCMにも出演して、多少のお金も入ってきた。とすれば単に無償の行為とはいえないかもしれないが、それでも大車輪一筋50年はふしぎでたまらない。趣味であって、趣味を越えているような感じだ。人間風車。回転する孤独。
25年前、「ナンバー」誌でインタビューしたアル・オーターの言葉をふと思い出す。オーターはローマ、東京、メキシコと3つのオリンピックで円盤投金メダルをとったスーパー・アスリートだった。こんなふうに語っていた。「わたしは競技が楽しみだ。オリンピックに出られようと出られまいと、そんなことはどうでもいい。年とってできなくなるか、競技に出してもらえなくなるまで、円盤投をつづけていくつもりなんだ。まあ、わたしの感じでは、90歳まではつづくまいと思うけどね」 大車輪にしろ円盤投にしろ、それができないからといって、日常生きていく上で、何のさしさわりもあるわけではない。しかし、それを50年もつづけている人を見ると、私は思わず尊敬してしまう。日常生活の中に出現した稀有な祝祭、寒さの中の思いがけない小春日、ありがたい奇跡、というふうな幸福な気分になる。こんな人がいると思うと、自分が生きていることが楽しくなる。
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