芝山幹郎「大リーグ二階席」(晶文社刊)を面白く読んだ。芝山さんの該博な知識に驚くが、それ以上に、野球(大リーグ)に対する愛情が文章の隅々まで行きわたっていて、読んでいてまことに気持ちがよかった。心が洗われるような感じだ。
昔、短篇の名手・永井龍男さんが、1人の作家のすべてを理解するには、作家の家のそばに小さな掘立て小屋でも建てて、作家の日常生活のリズムに合わせて暮らしてみる位の気構えが必要だろう、という意味のことを書いていたように記憶する。その伝で言えば、芝山さんは100年を超える大リーグという大きな森の中に、自前で小屋を建てて住み、森林浴をし、動植物を細かく観察しながら悠々と暮らしているように見える。ベースボールの森の住民登録をした人の、素晴らしいエッセイ集だ。
大リーグの深い歴史の森から、イチロー、松井、野茂たちと相似形になるプレーヤーを探し出し、人物双曲線を描いてみせるみごとな手法に感心する。世界野球史の中で日本人プレーヤーの個性が際立ち、私たちを井の中の蛙であることから解放してくれるような気分になってくる。
その中の一篇に「野球と戦争―ジョー・ナクソールを知っていますか」がある。第2次世界大戦のさなか、15歳10ヶ月のジョー・ナクソール投手がデビューした。史上最年少の選手だった。そんなことが可能だったのは、大戦中、戦場に向かった大リーガーは500人を超えたことだ。選手不足で15歳の少年投手まで、登録せざるをえなかったのか。
「テッド・ウィリアムス、ジョー・ディマジオ、スタン・ミュージアル、ボブ・フェラー、イーノス・スローター…後に殿堂入りを果たす選手たちも、ヨーロッパの辺境の地や太平洋の島々で戦場に加わった。サイパンに送られたスローターなどは、『おれたちが球場をつくって野球をしていると、崖の上から日本兵が見ていた。殺されるかもしれないというのに、すごく無防備に見ていたんだ』と胸が痛くなるよな証言を残している。…」という一節を読むと、こちらも同様に胸が痛くなってくる。あの戦時下で、同じ兵隊でも、アメリカ兵は球場をつくって野球をしている。それを遠くから眺めていた日本兵も、どんなにか野球がしたかったことだろう。彼らはやがて玉砕することになる。民間の日本女性達はバンザイ・クリフから身を投げた。そのサイパンの地へ、6月28日、天皇皇后両陛下が訪ね、慰霊の黙とうを捧げられた。サイパンの熱い砂浜に腹ばいになり、両陛下に当時の戦闘の様子を説明する元兵士の姿に、胸を打たれた。スローターの証言が、この写真にダブってくる。スポーツの最大の敵は戦争であることを、あらためて知る。
「テッド・ウィリアムスにいたっては、25歳から27歳までの全盛期を奪われたばかりか、30代中盤の2年間も空軍パイロットとして朝鮮戦争に参戦し、九死に一生を得ている。本人の意思だったのだから仕方ないじゃないか、などとはいわないでもらいたい。われわれ野球好きは、市民ウィリアムス氏の決断にさほどの関心を払わないが、選手ウィリアムスの黄金時代が奪われたことに関しては過敏なまでに反応してしまうのだ。惜しいと感じ、もったいないと呟き、あの空白がなければとうめく」
日本では、あの沢村投手をはじめ、何人かのプロ野球選手が戦死している。芝山さんのこの短い一篇は、しっかりと反戦の言葉として、私に訴えかけてきた。 |