甲子園の強豪校・明徳義塾(高知県須崎市)が、大会組合せが決まったあとに、出場辞退となった。一部の野球部員が下級生部員に暴力をふるったこと、11人が煙草を吸ったことが、匿名の投書で発覚した。 そして、何よりも馬淵史郎監督が「何とか丸く収めようと」高野連に報告せず、内々に部内処理しようとした隠匿体質が問題視された。 高校野球は教育の一貫だ、というのだから、教頭でもあった馬淵監督の責任は大きい、といわれても仕方がないだろう。 馬淵監督といえば、2002年夏に全国制覇したことよりも、1992年夏、星稜の松井秀喜選手に対して、5回連続敬遠を命じた監督として記憶される。高校野球は一発勝負のトーナメント方式だから、1回負けたらそれで終わりである。勝つためには、ルールで許されていることなら何でもやろう、という考え方のようだ。そのときの明徳の投手は、打席に5回立った松井選手に対して、走者のいない回なら一度位は全力勝負してみたかったのではないか。超高校級の打者の力がどんなものか、試してみたかったのではないか。 このとき、王貞治さんは「5回敬遠されたのは強打者の証しだ。ルールでも許されていることだし、騒ぐことはない」とコメントしていた。松井選手はそれで納得できたであろうが、明徳の投手はどうやって自分を納得させたのであろうか。“野球配慮”より“教育的配慮”を優先させるときがあってもいいだろう、と思った。 この敬遠作戦は13年たった今でも、夏の甲子園大会の時期になると思い出す。選手は監督の駒ではない。勝つために勝手にあやつられる駒ではない。一寸の虫にも五分の魂、その魂を認めるところから、教育は始まる。教育の枠内にある高校野球も、当然そういうものであるはずだ。 今回の事件で一番問題だと思われるのは、隠匿体質もさることながら、野球部員130人という点ではないか。それも近畿地区からの野球留学組が多いという。親元をはなれての寮生活である。高野連は野球留学の実態を調査するようだ。その結果によっては、野球留学を抑制するのだろうか。野球留学枠を設けるようなことになるのだろうか。東大に入学するために、有名進学校に生徒は集まる。それを抑えることはできないのだから、野球留学も抑えられないだろう、と思う。 野球はレギュラー9人、ベンチ入りできるのはせいぜい20人である。練習試合にも出ることなく、卒業する選手も相当数あるだろう。辞退直後に明徳の赤瀬浩二主将は「まず、日々の練習での手伝いや打撃投手、守備練習の補助などで頑張ってくれた控え選手に申し訳なく思います」(8月5日付、日刊スポーツ)と縁の下の力持ちになってくれた控え選手をまず思いやっている。試合に出られない控え選手が100人もいれば、どこか部内の空気にも淀みがでるであろう。そのよどみが、喫煙やいじめなどにつながる温床にもなりかねない。 昔、学生野球の高名な指導者が、たとえボール拾いであっても、心をこめて行い、日本一のボール拾いになるように努めてほしい、という意味のことを話している。 それはもう無理だろう。そのような形で、モラル維持ははかれないだろう。なるべくたくさんの選手が試合に出られるシステムを、チエをしぼってつくることが大切だ。一軍のためにすべてが集中されるのではなく、二軍、三軍、四軍・・・も試合ができるシステムを、地域の中で考えていくべきときだと思う。 それにしても100人を超す部員をどうまとめていくか、むずかしい問題ではある。 |