最近、「ゼロからの出発」を誓った2人のスポーツ選手―プロゴルフの尾崎将司と、モーグルの里谷多英である。 尾崎は「ジャンボ」の愛称で親しまれ、男子ツアー最多94勝、55歳7ヶ月の最年長優勝、12回の賞金王・・・と数々のタイトルホルダーだが、今年も6月にマンダムルシードよみうりオープンで、プロ通算1000試合出場という、とてつもない記録を達成している。 里谷は長野オリンピックでモーグル金メダルをとり、以後、W杯の上位常連となっている美人選手である。 それがなぜ、2人とも「ゼロからの出発」と言ったのか。大きく報道されたように、尾崎は不動産、ゴルフ事業に失敗、16億円の借金でにっちもさっちも行かなくなり、民事再生手続を裁判所に申請した。 里谷は今年2月、六本木のクラブで泥酔して男性客と暴れ、店員に暴力をふるい、物を壊したりして警察に連行された。(8月に書類送検)週刊誌で「公然わいせつ」のあばずれ女と報じられ、強化指定A選手も辞退していた。 ジャンボ尾崎については、1回だけ取材したことがある。デビューしたばかりの昭和46年か47年頃だったと思う。ゴルフ好きの作家・柴田錬三郎さんと尾崎の対談を企画した。 対談場所の銀座の料亭Mで待っていたが、なかなか姿をあらわさない。外に出てしばらくすると、しかめっ面でやってきた尾崎は、なんてわかりにくい場所なんだ、もう、帰ろうかと思ったよ、とふくれっ面だった。しばらく文句を言いつづけた。ふてぶてしく、怖いもの知らず、傲慢とも思えるほど、声を荒げた。 しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いで勝ちはじめた尾崎は、若さと勢いが全身から溢れていた。オーラが感じられた。向うところ敵なしになりつつあった若者の傲慢は、あっけらかんとして、いっそ気持ちがいいほどのものだった。滅多に出会えるシロモノではない。プロ野球で挫折した若者が、ゴルフという新世界で、新しい栄光をつかもうとしている。この程度の傲慢は、許されるものかもしれない。 その後のジャンボの快進撃は誰もが知っている。途中いちど、大スランプの時期があったが、それもみごとに克服して、賞金王の座にすわりつづけた。 ミニゴルフ場つきの豪邸をつくり、尾崎をしたう若いゴルファーたちと、シーズンオフにキャンプを張った。親分肌。しかし、アメリカのトーナメントには弱かった。日本食でなければ力がでない。英語が強くない。英語に強い夫人を持った青木功とは、そこが違った。 プレー中のくわえ煙草など、マナーの悪さを、しばしば指摘されもした。常勝ジャンボには誰も注意できないようであった。カゲでは非難しても、首に鈴をつける人はなかった。それは尾崎にとって、不幸なことだったであろう。 ゴルフ規則第1章は「エチケット」である。中の「ゴルフ精神」の一節に、「プレーヤーはみな、どのように競い合っているときでも、そのようなことに関係なく、礼儀正しさとスポーツマンシップを常に示しながら洗練されたマナーで立ちふるまうべきである。これこそが正に、ゴルフ精神である」と書かれている。最強のゴルファーには、最上のゴルフ精神を見たい、と、ファンは思っている。その点がやや欠けていたか。 「ゼロからのスタートにはなれている。早く(民事再生手続きを)決着して、ゴルフオンリーの人生を歩みたい」「これで純真な気持ちでゴルフに取り組める。強烈なダメージを食らうこともない。これも人生だよ」(11月11日付日刊スポーツ)―その言やよし。ゴルフは紳士がするというより、ゴルフを通して紳士になるスポーツだ、ともいう。「ゴルフの精神」もひっくるめての、「ゼロからの出発」であってほしい。しっかり立ち直るプロセスを見せることも、名選手のつとめかもしれない。尾崎、里谷とも、おみごと!と言わせるような鮮やかな「ゼロからの出発」をみせてほしい。 |