国際柔道連盟(IJF)が、際どい勝負の判定材料にビデオの導入を図る。今秋9月カイロ(エジプト)で開かれる世界選手権で試験的に採用することを明らかにしたものだ(3月27日)。 日本のファンにはシドニー・オリンピック(2000年)100Kg超級決勝で篠原信一がダビド・ドイエ(フランス)に納得のいかない判定で敗れ金メダルを逃した“思い出”がある。 そのあと国内大会でビデオの利用が試されたが、やはり「判定は人の目で」との声が高く、見送りムードの強いまま時が経った。 IJFも慎重、と伝えられてきたが、今春ヨーロッパで行われた国際大会でのテストなどの結果を受け、世界選手権でも「試験的」という条件付きながら初採用へ踏み込んだ。 総ての判定をビデオに頼るのではなく、主審が参考に映像を求めた場合、たたみの外の審判員が再生の試写を見て、助言を与える方法が採られる。 カメラの台数、角度(設置場所)など「ビデオ絶対」と言い切れぬ状況も多いが、競技力の高度化、スピード化などに比べて、国際的な“審判力”はけして高くなく、IJFの姿勢も、やむを得ないと見られているようだ。 それでも私は「人の目」派だ。誤審が起きず、あと味の悪さも無くなるとなれば、カメラの力を借りるのも、現代のスポーツの姿ではあるが、そのあたりの際どさが、スポーツの“面白さ”ではないか。 ビデオの再生で、微妙な瞬間を、新しい“面白さ”へと演出したのはテレビだが、それはあくまで「見せる」のが狙いで、審判力の乏しさを補完するためではなかった。 いつの間にかビデオは判定の目に変わり、IJFをも動かすことになる。 人間の眼力では及ばない自転車のフィニッシュ、用具が繊細なフェンシングなどはともかく、どのような文明が開発されても、スポーツはなるべく総てを「人」が取り巻いて歴史を重ねて欲しい。
今回の柔道の現代路線は、カラー柔道着問題とはまったく趣きを異にしよう―。 |