2020年の夏季オリンピックを日本に招致しようという動きが、浮かび上がってきた。 今春の日本オリンピック委員会(JOC)の会合で、竹田恒和会長が「招致への機運を高めたい」と発言、5月末には立候補の手順などをまとめたガイドブックがJOCによって発行された。 といって、この動きに呼応し、巨大イベント招致に名乗りをあげるには、日本列島を取り巻く財政状況は、厳しすぎる。 20年を目指すには、16年大会から手をあげたい、とする。いっそう大変だ。 JOCには、名古屋(88年)、大阪(08年)が、あっさり1回だけで退いてしまった“反省”がある。現代の競争はそれでは勝算が低い。 64年の東京も、その前、60年大会で当選を逃し、2回目でようやく宿願を達した。 北京でさえ、2000年を望み、シドニーに敗れている。 都市そのものの知名度ではない。スポーツ度ともいうべき、文化の物さしが当てられ、それがなかなかの難関となるのである。2016年のためには、来年末までには、具体的な候補都市を、と竹田会長は言う。 国内の“慣習”は、まず関心を示す都市があって、それに引きずられるようにJOCが動くというケースばかりだったが、今回はJOC先行である。その点では珍しい。 水面下で、これまでのようなJOCを刺激するパワーがあるかとも思うが「それはない」(竹田会長)。 あくまでJOCが旗を振り、それがためのガイドブックでもある。 前向き、と伝えられる都市も、単独では荷が重すぎると慎重のようだ。 今回の国内に限らず、しばしば、広域開催という声も飛ぶが、国際スポーツ関係者の間では、好まれないアイデアである。 それならばいっそ規模縮小か、一部の競技の冬季移行のほうが、となる。 JOCが、この機にオリンピックを日本へ、と切り出したのは、2020年大会となれば東京から56年、そろそろというムードが生まれてもいいとの読みがある。 スポーツ振興を充実させるには、たえずオリンピックが“身近なもの”であったほうがいい、との狙いもあろう。 90年代後半から夏季大会へつねに手をあげているイスタンブール(トルコ)は、その意図が強いそうだ。 さて、見通しはどうなる。私は東京再開催説を持つ。 スポーツ界関係者のエネルギーを集め、集まるのは、やはり東京ではないか。 それは、日本スポーツ界の「自立」にもつながる。 仮に、今回のJOCの呼びかけで、情熱的な都市が現れても、総ての力を“都市の政治”にすがっては意味がない。 ましてや“都市の思惑”にはまりこんでは何のために・・・となる。 スポーツの魅力にあふれたオリンピックをと、JOCは、改めて国内に声を張り上げて欲しい―。 |