「スポーツ振興くじ」(サッカーくじ、TOTO)が、今年も苦戦に終始した。 スポーツ関係者の集まる会合には、運営機関の人の“お願い”の時間が必ずといってよいほど設けられ、12月19日東京でのトップリーグ連携機構による初行事「マネージメントセミナー」でも、協力が呼びかけられた。 スポーツのための新たな財源。たしかにスポーツ界がまず動かなければ、というのは分かるが、スタートしてすでに5年、「くじを買ってスポーツを楽しむ」ムードが、世の中に醸成されていないことのほうが気になる。 それでも、5クラブに優勝の可能性を残したJリーグ最終日(12月4日)の「くじ」は、4億円台の売り上げを示し、前3週平均約2億6,000万円を大きく上廻った。 ピーク時の数字には及ばないまでも、サッカーファンを軸に、「予想の面白さ」という魅力は萎えてしまったわけではない。 Jリーグ(今年から全日本選手権も組みこまれたが・・・)の展開と合わせたセールスのアイデアがあれば、再上昇は期待できる。 とはいえ、2001年度601億円を売り上げ、規定の35%・211億円が、目的の事業に配分されたのは、夢のようだ。 その後、配分額は約143億円、約71億円、約54億円と落ちこみ、払戻し期限を過ぎた当選金を加えるなどの“苦しい手”を打ちながらしのいできている。 配当を見込んで進めた事業は、初年度(2002年度助成)で浮かれたものの、すぐに縮少を迫られ、継続を断念せざるを得ないケースも少なくない。 いま、スポーツに注ぎこまれる金を工面(くめん)するのは容易ではない。「くじ」はある意味で、残された数少ない糸の1本と言える。このラインが細くなっては「地域主流」も「自立」も展望を閉ざされる。 スポーツをスポーツ人だけの小さな輪のなかで過ごした時代があまりにも長かった、これはツケだ。「見るスポーツ」と声高に叫んでも「見せるスポーツ」の体制、姿勢が、スポーツ側にどこまで高まってきたか、となると怪しい。 「くじ」の売れ行きは、そうした状況と無関係ではないのである。 「買ってくれ」の連呼だけではなく、見るもよし、するもよし、話すスポーツ、読むスポーツ、食べるスポーツ、総てをよしとする“習慣”こそが不可欠ではないか。 この多くが整えば「日本で夏季オリンピックを」の声も、社会の側から沸いてこよう―。 |