トリノ冬季オリンピックが初めてではないのだが、フィギュアスケートなどでテレビ中継の解説者やアナウンサーが、しきりと「スタンディング・オベーション」(Standing
Ovation)という表現で、会場内の熱狂ぶりを伝えていた。 音楽会の演奏、演劇のカーテンコール、スポーツ(競技者)の演技に、観客が立ち上がって絶讃の拍手を贈るその姿を指すのだが、日本のスポーツシーンで描かれる「満場総立ち」は一方的な応援の延長上にある。ニュアンスが異なる。 外国のそれは、総ての競技者の、総てのプレーのなかから、観客が自らの感覚で、惜しみない讃辞を、拍手に乗せて投げかけるのだ。自然発生のよさが、そこにある。立ち上がるまでもないと感じた観客の姿も珍しくない。 それだけに、文字どおり「総立ち」の喝采を浴びるのは、競技者冥利につきよう。 フィギュアスケートは、「スタンディング・オベーション」がもっとも似合うスポーツとも言える。 かつての女王・伊藤みどりさんは、滑り終わって観客のその姿を見、歓声と拍手の音を聞くために演技しているようなものだ、とさえ語ったことがある。観客のレベルの高さを物語りもする。 「スタンディング・オベーション」の起源は定かでない。たどりつけないほど昔にあるのは間違いなさそうだ。音楽、演劇、舞踊と並んで、スポーツでも同じ風景が描かれているようなのは嬉しい。 メジャーリーグ・ベースボールでは、ピッチャーが策戦上であれ、ノックアウトであれ試合途中で退場し、ダッグアウトへ向かう場面では、必ずといってよいほど「スタンディング・オベーション」が起こる。 いつの頃からか、誰からともなく引き継がれる伝統的なマナーなのだ。 荒川静香選手の“金の舞”は、演技が終わるか終わらぬうちから、この儀式が場内で始まった。観客の肥えた鑑賞眼が、最高位を予言したのである。 彼女の演技は素晴らしかったが、オリンピックの熱気のなかから、こうしたスポーツ文化の素敵さも、是非「日本のもの」にしたい。 オリンピックという極上のステージには、いつも「スポーツの味わい」があふれている。 「スタンディング・オベーション」は、その結晶であろう―。 |