「2010年のツール・ド・フランスに是非、参戦したい」。大きな夢を描いて日本で初の自転車ロードレースのプロ・チーム「バン・サイクリング」が産声をあげた(3月1日・東京)。 世界のあらゆるスーパー・タイトルへ挑戦を試みる日本のスポーツ界。「ツール・ド・フランス」を目指すアクションが起きても、おかしくはない。遅かった印象さえある。 チーム関係者の情熱的なプレゼンテーションを聞きながら、ヨットの「アメリカズカップ」へ参加を表明した記者会見を思い出した。あの時も熱っぽかった。「ニッポン・チャレンジ」が、初めてこの大レースに帆をあげたのは1992年。それから14年が経っている。 自転車競技者、愛好者にとどまらず多くのスポーツファンは、今回の壮大なプランに拍手を送るだろう。 だが「ツール・ド・フランス」へ挑むのは、あまりにも難事業である。 レーサーの競技力だけで“解決”できる課題ばかりではないのだ。 「ニッポン・チャレンジ」もそうだったが、とりわけ資金力は、大きなカギを握る。 当初の国別対抗が1969年からスポンサーに支えられるチーム対抗となり、1983年からはプロ、アマチュアを問わぬオープンへと様相を変えたが、いつの時代も、スタート地点に立つまでのマネージメントの道のりは、レースに劣らぬ凄まじさ、とされてきた。 「バン・サイクリング」のオフィス側も「今の時点では“無限大”・・・」と、ぼう大な費用の調達に覚悟を示すが、それが、いっそう夢の大きさをかり立てもする。 チームの計画では、今年と来年で内外200近いレースをこなし、2008年から頂上を視野に、格付けの高いレースへの出場権を手にするとしている。 その一方で、国内にホームエリアを設け、トレーニング(強化)とともに、自転車競技の普及を図る構想も抱く。 Jリーグ(サッカー)以降、国内のプロスポーツは、必ずといってよいほど“ファーム活動”を重点に据えるようになった。 そのスポーツの楽しさ、面白さを身近な行為で伝えるのはプロ競技者に期待される仕事の一つだ。 「ツール・ド・フランス」。これ以上ない志をテーマに掲げた男たちのロマン。 1ページ目がようやくめくられたばかりである―。 |