「日本選手の“実力”をしっかり把握していなかった」―日本オリンピック委員会(JOC)によるトリノ冬季オリンピック(2月)の総括である(4月7日、JOC会長らが東京で会見)。
大会前、選手団長が個人的な期待とことわりながら「メダル数の目標は5個」とし、それが一般的な見方に拡がったため、金1個では物足りなく、「完敗」となる。 だが、4年前のソルトレークシティ大会で手にしたメダルは銀1個、銅1個だ。 メダルの数は、あくまで結果である。問題とされるべきは、選手団(参加した競技団体)が、どのような姿勢で臨み、そして、どのように終わったか、である。 実力を見誤ったとの反省の弁を聞かされてしまっては、二の矢を射ちこみにくいが、この総括、軽くはないか。 メディアに煽られ、選手の選考にしても国際的な水準への冷静な評価、判断が地についていなかった。 オリンピックは、それでなくても、通常の国際大会とは雰囲気が異なる。 4年にいちどの“祭典”には、日ごろ、スポーツに縁遠い人たちも、詰めかける。 チームや選手への知識が充分でない観衆は「母国」が見物と声援の目じるしになり、独得の“国対抗”の様相を描く。 1回や2回、国際シーンで上位に食いこんだところで、オリンピックの場では通用しない。 このあたりを計算して代表選手は選ばれるべきなのだ。 それは、日ごろのトップレベルの強化と育成の姿勢で培われる。日本選手の実力とは、JOCの組織としての実力でもある。 ウィンタースポーツは内外を問わず選手年齢が高い。 自然に挑むキャリアがものを言う面と、サマースポーツに比べ競技者人口が少ない面とが重なり、後続の養成は難しくなる。 「昔の名前」か「新しい勢い」かは、スポーツ界につきまとう課題だが、いつも結果論ですまされる。 JOCも各競技団体も、毅然たる態度をとらねば、このさき、歓びに沸く総括を打ち出すのは容易ではあるまい。 トリノでの成績は、取り巻く状況総てに厳しさを増す「日本のウィンタースポーツ」を根本から考える重い問題を投げかけた、と言ってよい。単に「日本選手の“実力”」だけではないのだ―。 |