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100号記念メッセージ

■vol.111 (2002年9月5日発行)

【杉山 茂】 オリンピック競技除外・削除の波紋
【早瀬利之】 湯原信光の復活、羽川と倉本への注文
【中村敏雄】 判定への異議
【松原 明】 大リーグ労使紛争は解決されたが
【市川一夫】 ワールドカップに見た2大ブランドの展開


◇オリンピック競技除外・削除の波紋
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

ベースボール、ソフトボール、シンクロナイズドスイミング(チーム種目)などが、オリンピックのプログラムからはずされることがあるかもしれない―どれも日本の"お得意競技"。

国際オリンピック委員会(IOC)による"ニッポンバッシング"ではないか、などの声もあがるなど、国内スポーツ界は一騒ぎだが、プログラムの見直しは今に始まったことではない。

前IOC会長(ファン・アントニオ・サマランチ氏)時代から、ビーチバレーボールだの、トライアスロンだの、スノーボードだのと、新たなスポーツが次々とオリンピックに加えられる度に、一方で、縮少・削減は、絶えず論じられてきた。

新任1年を経過したジャック・ロゲIOC会長(ベルギー)が、この問題に着手したとしても、驚くにはあたらない。肥大するばかり、膨張するばかりのオリンピックは、どこかで"適正なライン"を引かなければならないのだ。

この問題を検討してきたプログラム委員会によって、その報告書が8月末のIOC理事会(ローザンヌ)に提出され、一気に表面化したが、リストに載った団体の今後の抵抗は、凄まじいばかりの展開を示すだろう。

近代5種は、5日間もかかるような運営ではテレビ界が"支持"しないとしたため、シドニーでは2日間で日程を消化して見せた。それでも除外の勧告からはずされることができなかった。

オリンピックばかりが"生きる道"ではなく、孤高の舞台を展開することを考えたらどうか、と思うが、現在、オリンピックプログラムに加わる最大の魅力は、IOCから分配される「テレビ放送権料」収入だ。

例えば、シドニー・オリンピックでの分配額はベースボール、ソフトボール、近代5種いずれも各100万ドル(約1億1500万円)とされている。最高額の陸上競技は1450万ドル(約16億円)を手にできる仕組みだ。

それぞれの国際連盟(IF)にとって、オリンピックに加われば、競技者・愛好者を拡げられるのと合わせて、キャッシュをつかめるのだから、このビジネスからは離れたくなくなる。

プログラム委員会の"勧告"を見ると、多聞にテレビ界からの発想が感じとれる。

競技時間(つまり放送時間)が想定しにくいもの、人気の薄さに比べて設備・機材の投入がかさむもの、などだ。

IOCは2010年以降の放送権交渉を控えているだけに、テレビ界からかなりはっきりとした方向づけが望まれている。

結論は、今秋、メキシコに予定されるIOC総会以降とされるようだが、各IFがオリンピックに加わる栄誉よりも、さまざまな打算が露骨に過ぎると、国際世論の支持を訴えるのは難しくなる。

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◇湯原信光の復活、羽川と倉本への注文
(早瀬利之/作家)

湯原信光のニックネームはノブである。

ノブは今年の久光製薬KBCオーガスタに10年2ヶ月ぶりに優勝した。1957年8月生まれだから45歳になり、プロゴルファーとしてはしんどい年齢だが、プロスポーツの世界では、歳をとっても競技に出て優勝できるのはゴルフぐらいのものだろう。

今年は47歳の中嶋常幸が7年ぶりに優勝し、ベテランの健在ぶりを見せた。若手が海外に出てスター不在のプロゴルフの世界だが、たまにはベテランが優勝すると、ゴルフの深み、生きることへの可能性を教わるようで、うれしい。

10年前の成績を見調べていたら、湯原は開幕の第一カップは棄権している。この年は棄権が2回、予選落ちが3回、10位以内が11回あった。優勝は芹沢信雄、高見和宏をプレーオフで破った札幌とうきゅうと、ヨネックス広島の2勝。「年間2勝」それが彼の目標である。だが、まだ日本オープンなどメジャー戦の優勝はない。

湯原には持病がある。腰痛と肘痛、手首痛。腰痛を治すためダイビングや水泳を取り入れた。しかし、それ以後、多少治っても、持病は残った。「治す方法はゴルフをやめること」と医者に言われている。プロゴルファーがゴルフといういう仕事をやめて、何ができるか。レッスンとショップを経営するということは、ツアープロのプライドが許さなかった。

「モルヒネを打たないと夜眠れなかった」とコメントしているが、持病の苦しみは本人でないと理解できない。今でも痛み止めの治療をしながら戦っているが、その気迫はドラマチックである。同年齢のプロに倉本昌弘、羽川豊らがいるが、湯原の気迫を見習ってほしい。

羽川豊はテレビレポーターや解説者に転落したが、早すぎる。かつての日本オープン優勝者がテレビのマイクを持って歩いている場合ではない。引退など、もってのほかである。

倉本も「シニアの準備」に入った、などと耳にする。48になろうとする中嶋の例を見習って、もう一度、ベテランらしい花を咲かせてほしい。

湯原は「1年2勝」の目標に向かって歩き出した。4日間戦って勝つ可能性は、正直なところ難しい。しかし、体調さえよければ勝てる。

湯原が2勝目を上げたら、ツアー機構は何らかのお祝いをしてあげるとよい。

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◇判定への異議
(中村敏雄/元広島大学教授)

スポーツの試合中、思わず審判に「このくらいは見逃してくれてもいいじゃないか」と言いたくなるような小さなミス・プレーを発見されて笛を吹かれ、それを契機に試合の流れが相手に移って苦戦したという経験をもつ人は多い。

もう半世紀近くも昔のことになるが、オリンピック東京大会の女子バレーボールで、決勝の日ソ対抗戦の最後の得点はソ連チームのオーバーネットだった。この場面はその後もしばしばテレビで再放送されたから多くの人が記憶しているだろうが、審判の笛が鳴ったとき、プレイヤーも観衆も何があったのかよくわからず、審判のジェスチャーでソ連選手のオーバーネットがあったことを知った。

そして、この時、ソ連選手のなかに、サービスをレシーブしたボールがネットを越えていくのを指先でホンの僅か触れただけで、スパイクを打ったわけでも、バックアタックをしたわけでもないのだから「見逃してくれてもいいじゃないか」と思った人がいたかもしれないし、審判の判定に対する異議や抗議を禁止するというルールがなければ、おそらく監督は審判台に駆け寄ったことだろう。

1993年8月、第4回世界陸上選手権大会がドイツのシュツットガルト市で開かれたとき、女子の100mレースでゲイル・ディバーズとマーリーン・オッティの2選手が同着でゴール・インした。記録は両選手とも10秒82であったが、優勝はディバーズ選手とアナウンスされた。

しかし、オッティ選手がこれに異議を唱え、「上訴審判団、写真判定員が3時間かけてゴールのビデオを分析し、ディバーズが10秒811、オッティが10秒812」という1000分の1秒差でディバーズ選手の勝利と判定した。

それをどのように発表するかということをめぐっては、「5人の審判員のうち、2人は両者優勝を主張、3人は着差ありと発表という意見」の違いがあったという。(朝日新聞、'93年8月18、19日)。

これは審判の判定(その背後には機器による着順判定がある)に対する異議の申し立てと処理の具体例で、これに類する出来事や事件は大会ごとに数多く出現し、マフィアが暗躍しているというニュースもあった。

幸い、この陸上競技大会では1000分の1秒レベルで判定できたが、それでも同着の時は10000分の1秒レベルの判定になり、これが不毛の法技術主義に陥ることは多言の必要がない。

この時の異議申し立ては両選手が年来の宿敵ということもあったが、本当の理由はメダルの色の違いがその後の物質的利益の多寡を決めるということにあり、その根源にはスポーツのモットーになってしまった(本来はオリンピックのモットー)「より速く、・・・・・」主義がある。

そして、このような欲望肯定主義を認めている限り、ということはスポーツの「近代性」にとりこまれ、それを普遍と信じている限り、人間はこの軛から逃れることができない。

1845年に成文化されたラグビー校のフットボール・ルールは、「両チームのキャプテンもしくは彼らに指名された代理人の話し合い」でトラブルを処理、解決すると述べていた。今年の5月に亡くなったアメリカの社会学者D・リースマン氏は、これを「コインの表か裏か」で決める幼稚な方法と揶揄した。

しかし、たとえ未分化な水準であったとはいえ、審判不在でラグビーがプレーされていたということは、そこに高度な自己規制の意志が機能していたことを示すもので、スポーツにおける理想の一面が実現されていたと言ってよい。現代のスポーツはこれの継承を忘却、断念あるいは無知の上でプレーされている。

一体、われわれはなぜこのような選択をしたのかということをそろそろ問わなければならないのではなかろうか。

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◇大リーグ労使紛争は解決されたが
(松原 明/東京中日スポーツ報道部)

スト突入寸前で大リーグの労使交渉は妥結。公式戦は中断されず、無事に続行された。

だが、経営アンバランスがひどくなる一方の大リーグは、これで明るくなるわけではない。労使交渉の最大の争点だつた「課徴金制度」は、前回のストの後も1997年から3年間実施したが、貧富格差はさらに広がり、ヤンキースだけが巨大になるばかりで、全く効果はなかった。

高額チーム年俸の球団から、規定年俸の超過分を貧しい球団へ回す、という制度は上下の差がなくなり、いいように見えるが、配分を受けた球団は赤字補填へ回し、戦力強化は二の次。

ポストシーズンへの出場チームは、大金球団だけ。最近の例外は、アスレティックスしかいない。形を変えた今回の制度も、2006年のオフには期限切れ。この間に「競争できる戦力バランスを図る」とする、バド・セリグ・コミッショナーの願いはかなうかどうか。

NFL、NBAのように、労使協定した「サラリー・キャップ制度」を結ばない限り、期限切れで再び労使紛争は再燃する。球団削減を2006年まで先送りされた以上は、1998年から協議していた「地区再編成」を1日も早く実施し、ファンにアピールしないと、大リーグの未来はない。

未だに年間動員100万人にも達しない球団は、デビルレイズ、エクスポズ、マーリンズの3球団もある。削減しなくても、いつ、倒産する球団が出るか、予断を許さない現状だ。

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◇ワールドカップに見た2大ブランドの展開
(市川一夫/スポーツライター)

ワールドカップという祝祭が幕を閉じ、早くも2ヶ月。にわかファンの興奮は既に収まった感がある。

一方、再開したJリーグ観客入場者数は増加したと報道されており、ワールド・カップ効果が早くも出た格好だ。

ピッチ上の激しいぶつかリ合い、サポーターの興奮もさることながら、日、韓両国を舞台にした、世界的なスポーツ用品戦争も予想通り、激しい場外戦を繰り広げた。

今回は2大ブランドである、adidasとNIKEの展開を中心に振り返ってみたい。

まず、今年4月からテレビ、雑誌、ビルボード、販売キャンペーンと定石通りの宣伝、PR活動が開始された。

adidasは、テレビ広告スポットに約3億円、テレビ番組提供が14億円、他にも、広告代理店が道交法違反で逮捕されるという話題まで提供した渋谷駅前ビル広告など、総額20億円(推定)を投下し、日本代表のレプリカウェアは60万枚、公式試合球は全世界で400万個販売したとされている(同社発表)。

これに対し、NIKEは、テレビ広告スポットに14億円、テレビ番組提供に17億円(いずれも推定)、他にも、国立代々木競技場を貸切り、25万人が入場したとされる『NIKE FOOTBALL PARK』などの多彩な宣伝活動を展開した。なお、販売高については未発表である。

また、サッカービジネスでは老舗のPUMAも、都内首都高沿いに47箇所の看板を出し、7千万円(推定)の投資をしたとされる。

国産勢では、ミズノがアド・バスを走らせたりしたが、2大ブランドの圧倒的な物量には到底かなうはずもなく、力の差を見せつけられた感がある。

ちなみに、出場国の代表ユニフォームのシェアは、adidas×10(前回 6)、NIKE×8(前回 6)、PUMA×4(前回 5)、Kappa×1(前回 2)、Reebok×0(前回 3)、他5チームがその他のブランドで、残念ながらミズノ、アシックス、デサント、ゴールドウィンのマークを見ることはなかった。

シューズについては、選手毎の個人契約ベースであり、各社はスタープレーヤーと年間契約をしているが、このマーケットには2大ブランドやPUMAの他に、ミズノ、アシックスも加わる。何れのメーカーも契約選手モデルを投入し、前年対比で大幅な伸びと発表しているが、その反動は"祭りの後"の下期に出てくることが予想される。

日本を舞台にしたadidasとNIKEを中心とした争いは、日本スポーツイベント史上最大の規模で展開され、投入された人、物、金など全てにおいて、サッカーワールドカップが五輪を凌ぐ世界最大規模のスポーツイベントであることを実証した。

adidasやNIKEの戦略はメリハリが利いており、目標設定、集中投資、効果創出という論理的な展開が随所で見受けられた。この戦いで大きなアドバンテージを獲得した彼らが、日本市場に対して、今後どのような戦略で金を生むビジネスを展開するのか、引き続き注目したところだ。

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