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ワールドカップバイアスロン2005 男子20Km個人追い抜き 菅恭司

(C)photo kishimoto

ワールドカップ
バイアスロン2005
男子20Km個人追い抜き
菅恭司

 

SPORTS IMPACT
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(C)photo kishimoto
vol.281-1(2005年12月14日発行)
松原 明/東京中日スポーツ報道部

「柏の転落は」

杉山 茂/スポーツプロデューサー
  〜孤独の強さが描く影〜
  −2005年を振り返るA−
岡崎 満義/ジャーナリスト
  〜日本サッカーにFWはいるか?〜
岡 邦行/ルポライター
  〜もうひとりの“ミスター・サブマリン”〜
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「柏の転落は」
松原 明/東京中日スポーツ報道部)

 Jリーグ創立当時から参加していた、柏レイソルがついに、初めてJ2の2部に転落した。昨年から危機だったのに、「何とかなる」甘えの気持ちが破滅につながった。こうなる背景は突然始まったことではない。

 フロント、現場の連携、一体感がなく、組織として機能していなかった。転落のきっかけは2001年シーズン途中の西野朗監督の解任から始まった。当時のチーム運営責任者、久米一正氏(現・清水)が「あれは失敗だった」と反省しているように、契約条件、感情のもつれにより、西野を突き放してから、ペリマン、池谷、マルコ、池谷、早野と、めまぐるしく監督を代えても、うまく機能しなかった。

 西野は退団したあとガンバへ単身就任し、今季、初のリーグ優勝へ花開いた。西野個人にとって、転身は飛躍へのジャンプ台になったから良かったが、柏は西野追放から、新たな道を見つけられなかったのは悲劇だ。

 久米GMは相次ぐ失敗で、自ら身を引かざるを得なくなり、1997年から2003年まで、チーム構築の中心だった、小林正三郎社長が交代すると、それまでのことを、すべて否定する革新が始まった。

 小林氏が「何であれほど破壊するのか?」といぶかるほど、新社長の小野寺重之氏は、新たな路線へ、歩み出した。だが、これが、ことごとく成功しない。周囲のだれも、社長に進言できない。討議も重ねないまま、危機は迫ってきた。

 再建役には不向き、と言われていた、早野監督は、昨年の転落一歩前で、今季は交代、と言われていたのに続投。重大ピンチになってラモス・コーチを入れる2頭政治に至っては論外の沙汰。選手は戸惑い、チームの躍動感はなくなった。

 2部落ちで目覚めるかどうか。1年で復帰するのは、簡単ではない。これまでの転落チームに共通しているのは、「2部なら」という甘く見る気持ちで、プレーがおろそかになり、気がつけば、2部に染まってしまうことである。

 組織全体が一体にならない限り、柏の再建は難しいだろう。柏の転落はクラブ運営がいかに大事か、の教訓を残した。


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