バブル後遺症を引きずり、ピークを過ぎたと看做されているゴルフであるが、今日も多くの愛好者が大自然の中でスポーツの醍醐味を満喫し、芝生の上で白球を追いかける姿を見ることができる。そして一方、ゴルファーを支える関連産業も業績維持回復に向け懸命である。
そのなかで老舗ミズノが突如としてゴルフボール市場に参入し1ヶ月が経過した。 そこでその背景を追ってみた。 ミズノの発表によると、実に70年ぶりの再開である。
成熟期を過ぎたゴルフ市場、しかもブリジストン、ダンロップという2大グローバルブランドが市場を寡占している中へ敢えて挑戦するミズノの狙いは何か?業界はもとよりゴルファーの間でも大きな関心と注目を集めている。 長年に渉り同社において利益の大半を稼ぎ出し、企業基盤構築に貢献してきたドミナント事業はこの10年の間に市場シェアを失い続け競争優位から脱落してしまったのだ。
投資家からは総合力が強みの企業体質と評価されてきたが実体は先に述べた如くゴルフが全てと言っても過言でないほどの依存度であって、同社がオリンピック大会などでブランドの露出に注力できる原資は実はゴルフ事業からの果実で実現していたのである。 ミズノの強みは事業毎のバランスが程よく保たれて、それらが積み重なりある程度の利益を上げている。仮に何かの事業が競争優位から脱落しても、他の事業で少しずつカバーして回復を待ち、やがて復活を果たすケースが通常で、それだけ総合力に優れていたといえる。 しかし、間もなく創業100周年を迎えようとする同社もバブル経済破綻以後はかってない苦境に陥り、希望退職実施は実に3度に及びこの間優秀な人材の流出もあった。彼らの一部は同業へと移り豊富な経験を活かし、たちまち活躍しているようだ。 求心力を失ったゴルフ事業部はその後相次ぐ役員の交代もあり自信喪失、モラル低下に陥り、事業再建が最重要経営課題となっていたのである。
そのさなか、創業者の直系で副社長の水野明人氏が事業部長に就任し事業建て直しの陣頭指揮に当たることになり、第1弾としてゴルフボールの市場参入が実現した。 過去において何度も課題に上がりながら次のような理由により見送られていたゴルフボール販売が今この時期に何故と業界は受け止めているのである。
設備投資がかさむことを理由に踏み切れないこと、そして先発のダンロップ、ブリジストンからの大量仕入れにより卸機能が働き、売り上げ、利益確保が安定的に行われていたことなどがあげられる。 特に仕入れ販売は在庫リスクが少なく、右から左へと売り上げが上がるうま味があり、その上2大ブランに対してはボールを売る代わりにクラブやウエアなどへの参入を牽制する抑止効果が大きく働いていたのである。 しかし、ゴルフ市場の成長性に着目した2大ブランドは、やがてミズノとの暗黙の協定をあっさりと反故にしてゴルフ用品部門の拡充を重ね、ミズノとの全面競争へ参戦した。
企業規模、体力においてミズノをはるかに凌ぐ彼らは次第に市場シェアを拡め、競争優位が定着した様相である。 このような経緯を経て、今チャレンジャーとして彼らに挑戦する同社の経営戦略には大きな注目が集まっているのだ。 売り上げ利益の規模が大きいゴルフ部門において現在ゴルフボールの市場は約1000万ダース。約230億円と推定されているなか、初年度販売目標を10万ダース/4億円、5年後には50万ダース/20億円を目指すと発表している。 小さなゴルフボールだが、このチャレンジが持つ重要性はきわめて影響が大きい。その成否は今後の経営の行方を占う試金石として注目に値する。
実力以上の高いブランド認知、評価を得ているミズノにとって何が何でも成功を勝ち取らねばならない。文字通りボールの行方が注目される。 |