かつて女子バスケットボールで活躍した、萩原美樹子さんの連載コラム(東京新聞夕刊・毎週土曜日掲載)が面白い、と書いたばかりだが、2月19日付の「語り継ぐべきこと」を読んで、また書いてみたくなった。第二次大戦を知らない戦後世代の「戦争体験」が語られている。
「社会人チームに所属したばかりの十五年ほど前は、アジアの国々への遠征が苦痛だった。試合で、ブーイングややじは当り前。ホテルや店などで店員に意地悪をされる。お年を召した方に、すれ違いざまにつばを吐きかけられたこともあった。私自身は何もしていないのに、日本人だというだけで敵意を抱く人がいると思い知った。怖かったし悲しかった。でも日本人である以上、自分の国が何をしてきたかという歴史から目を背けてはいけないのだなと、その後数年かかって思い及んだ」
戦後世代の正直な気持ち、そして次第に日本とアジアの関係の歴史に目を見開いていくことが語られる。外国遠征をする優秀なスポーツ選手は、本人が意識しようとするまいと、否応なしに日本と日本人を代表してしまう。
とくに、第二次大戦の主戦場となったアジア諸国では、60年たった今でも、何かあればすぐ対日批判が噴出する。先のサッカー・アジア選手権が中国で開かれたときも、日本代表は中国人から激しいブーイングをあびせかけられ、日本大使館の車に投石されたりしたのは、記憶に新しいところである。サッカーを始めスポーツは、国と国で争うとき、代理戦争といわれる一面を持っている。人々の興奮を巻き起こし、偏狭なナショナリズムに火をつける。
観光旅行客とちがって、日本代表のスポーツ選手は、はっきり日の丸を背負っている。誰の目にも分かりやすい存在である。日本代表の選手たちは、文字通り日本を代表して、歴史的な恨みをはらす標的にされてしまうこともある。萩原さんの体験もそのようなものだった。「私自身は何もしていないのに」なぜ、こんなひどい目にあわなければならないのか、理不尽だ、と思うのも無理はない。聡明な萩原さんは、そのことを冷静に受け止め、「でも日本人である以上、自分の国が何をしてきたかという歴史から目を背けてはいけないのだ」と「その後数年かかって」克服したのだ。
萩原さんは、子どもだったころ、自分を戦争映画に連れて行って、戦争体験を伝えようとしたお母さんのことを思い出し、「母は偉かった」と思い「見る、聞く、話す。シンプルな方法だが、私たちの世代で絶やしてはいけないのだと思う。戦争を伝えていくことを」と書く。頼もしい世代が出てきた、と思う。スポーツは平和を願い、友好を進めるものであるが、日本人にとっては萩原さんが言うように、「戦争体験」を伝えることを通して、アジアの歴史を共有することが必要かもしれない。その努力が要求される。
作家の伊集院静さんが、ヤンキース入りをする1年前の松井秀喜選手に「アメリカ文学を何か、1冊でも2冊でも読んでおくといい。アメリカ人記者たちのインタビューを受けるとき、そんな話ができると、君を見る目も変わるはずだから」とアドバイスしたと聞いた。戦争体験を語り伝える、文学や歴史を学ぶ。日本を代表するスポーツ選手たちには、そんな人間的な教養が必要とされる時代になったのだ。
それにしても、高度成長時代に企業戦士として、ただただ一心不乱に働いてきた私たちの世代は、戦争体験も戦争責任も素通りして、十分に語り伝えてこなかったとつくづく思う。萩原さんのコラムを読んで、そのことを思い知った。 |