女子プロゴルフ界が燃えている!主役はもちろん宮里藍選手(19)。第1回女子W杯で北田瑠衣選手(23)とペアを組んで、堂々の優勝。つづくANZレディースマスターズでは、惜しくも1打差で2位。海外ツアーをものともしない、プロ入り2年目の、おそるべき19歳である。
国内ツアーが始まれば、これに同い年の横峯さくら選手もからんでくる。アマの諸見里しのぶ(山陽高)、宮里美香(沖縄・松島中)なども後を追っている。有望新人がなかなか出てこない男子プロにくらべて、女子はすっかり上げ潮に乗った感じだ。
なぜ女子には優秀な新人が次々と現れ、世界でもヒケをとらない活躍ができるのか。当たるも八卦、当たらぬも八卦で、私なりに推理してみると―。
@ 女性全般に対して社会的に、フォローの風が吹いている。昭和61年の男女雇用機会均等法以来、男女共同参画社会、子育て支援、介護支援…など、まだまだ十分とはいえないとしても、確実に女性をサポートする風が吹きはじめた。風の強弱はときに変わることはあるが、風の向きは変わることはない。社会全体を包むそういう風が、女子ゴルファーたちにも、間接的な後押しになっているはずだ。みんながんばっている、私もやろう。
A 親孝行である。宮里にしろ横峯にしろ、そばに父親の姿をよく見かける。親の期待にこたえるべく努力する彼女たちは、今や社会から忘れられかけた親孝行という古風な倫理を思い出させてくれる。亡き作家・中野重治さんのエッセイだったと思うが、明治以来、西欧の文化を勉強、摂取に成功した学者・文化人たちを支えたものは、親孝行の気持ちだった、と書かれていたように思う。
もとより、スポーツは自己実現、自己表現の場である。今の選手たちは異口同音に「自分のためにがんばりました」という。国のため、家のため、親のため、ではなく、自分のためにスポーツをする。スポーツをするのはまちがいなく自分だが、自分のためにスポーツをするのは、思ったほど容易なことではない。自然なことのように見えて、意外にむずかしい。自分はいつも動き、変わるからだ。自分の中のもうひとりの自分との距離のとり方は、そんなにやさしくはない。むしろ、目にはっきり見える他人の方が、自分との距離はとりやすい。自分のために、自分だけを見つめてスポーツをするのは、まことにむずかしい。本当の自分とは?…などと考えはじめたら、自分そのものが迷路と化す。自分が自分のつっかえ棒になるのは至難の技だ。つっかえ棒は他人がいい。それも、ウムを言わさぬ、愛情いっぱいの親があれば、ありがたいであろう。
B 女性の方が自立度が高い。個人主義の長い伝統を持つ外国人選手と対等に戦うためには、自立度が高くなければダメだろう。アメリカツアーで成功したのは、自立度の高い岡本綾子、青木功ぐらいだ。
自立とは、まず1人であることを恐れないこと。100万人といえども、われ行かん、はオーバーだとしても、孤独に強くなければならない。自立、という言葉を見ると、いつもいまは亡き建築家・宮脇檀さんを思い出す。「家を新築するとき、男は必ず『狭くてもいいから書斎がほしい』と言います。10人が10人そうです。自分専用の城、書斎をもつのは男の夢なんですよ。ところが、書斎を使うのはよくて半年、ほとんどの人が2、3ヶ月でネを上げます。書斎の“1人暮らし”に耐えられない。『おーい、お母さんお茶』『おーい、新聞とってきてくれ』となって、1人では落ち着かないんです。だから私は書斎を、と頼まれても、そんなムダはおやめなさい、代わりに立派な椅子を買って、誰も座れない亭主の座として下さい、とアドバイスしています」
孤独に弱い男、自立度の低い男、ここから脱皮しない限り、男子プロゴルファーは世界で通用しない? |