全国高等学校体育連盟(高体連)は、卓球女子の人気選手・福原愛(青森山田高1年)が全国高校総合体育大会(インター・ハイ。高校総体)に出場できることを承認した〜3月5日〜。
福原選手の参加が改めて議論されたのは、彼女の日ごろの行動が「プロ的」だからだ。 全国高校総体には、スポンサー、企業から金銭的な支援を受けたり、広告へ“登場”する選手は出場できない規定がある。
ところが、福原選手の人気は捨てがたい。国際シーンで堂々と戦う実力も、同年代のレベルアップへつながり、大会を質的に盛り上げるとして「特例」になった。
融通を利かせるのが苦手、と思えた高体連にしては、なかなかの決断だ。 もっとも、世代を問わず、プロとノンプロ(アマチュア)の一線は、とっくに無くなっている。
アマチュア側がプロにすり寄っているし、プロもアマチュアへの奉任を怠っていてはそのスポーツの発展に響く時代だ。 日本体育協会も、3月8日の理事会でついにその規約(寄付行為)から「アマチュア」の文字を削り取ることを決め、英文の協会名からも「アマチュア」の表記が消える。
長くスポーツ界に“君臨”した「アマチュア精神」は「スポーツ精神」の表現に変えられる。 「福原プロ」が、教育内活動のイベントに参加するのを、誰も不思議に思わない。
むしろ、心配なのは仮に福原選手が登場した時のマスコミの騒ぎだ。 アテネ・オリンピック(昨年8月)以降、彼女へ群がる取材陣の数は異常で、テレビは、彼女の相手選手のカット(画面)をほとんど見せずダブルスではパートナーさえ同様の扱いをうける。
福原だけではない。女子プロゴルフの宮里藍、横峯さくら、女子プロテニスのマリア・シャラポア(ロシア)らも、マスコミはまるで他の選手が居ないかのように追いかける。スポーツ大会でこうした取材が許されるのだろうか。公平な報道なのだろうか。
彼女たちの力は文句なくトップである。勝っても敗れても「ニュースになる」と譲っても周囲を“無視”する姿勢は、とうてい肯定できない。 高体連は、充分にその混乱を知りながら「特例」で、大会の熱気を目論んだ。
現実には、県予選の免除など特典はなく、内外のトップゾーンでの競技予定が詰まっている福原選手の参加は難しそうだが、「高校体育界」が「高校スポーツ界」へと姿勢を変えるきっかけになるなら、今回の「特例」は、評価するに値しよう―。 |