「帯津(おびつ)流がんと向きあう養生法(帯津良一著・NHK出版刊)の書評を見て、ぜひ読んでみたいと思った。帯津良一さんは外科のお医者さんだが、以前、そのユニークな病気観、人生観が雑誌で紹介されたのを読んだ記憶がある。
この本でも、帯津さん独得の身体観、生命観が読めるのではないか、と買ったのである。「ホリスティック医学の輪郭が、おぼろげながら見えてきました。ホリスティック医学とは、こころ(精神性)、からだ(身体性)、いのち(霊性)の3つが渾然一体となった、人間まるごとそっくりそのままとらえる医学です」
「体を見る西洋医学、心を見る心理療法、いのちを見る中国医学、これらをあわせればホリスティック医学だと思った」が、あるときからそれは違うと思うようになった。「西洋医学と代替療法を、足し算するように、ただ合わせただけでは、それだけのことです」「総合医学は文字どおり積分することです。積分とは、双方をいったんばらばらにして集め直し、まったく新しい体系を作ることです」
「体は生命場のエネルギーの容れ物」「ホリスティック医学とは、場の医学であり、自然治癒力の医学であり、癒しの医学であり、養生の医学である」
短く引用するのがむずかしい。しかし、「まえがき」の中の帯津さんの言葉、とくに「積分」「統合」「生命場のエネルギー」という言葉に、ハッとするものを感じた。26年前、自分が悩んでいた核心に触れる言葉のように感じられた。
26年前、私は「スポーツグラフィック・ナンバー」というスポーツ総合誌を作るように、と編集長を申し渡された。「総合」ということの意味がなかなかつかまえられなくて、悩みに悩んだ。いろいろなスポーツをできるだけたくさん、誌面に紹介するだけで「総合」とはとても思えない。
高浜虚子の俳句「昨年今年(こぞことし)つらぬく棒のごときもの」の“棒”にあたるような何かを、スポーツの中から抽出することだろう。考えに考えた末、ゆきついたのは「スポーツはヒューマニズムの一表現形態である」ということだった。いろいろなスポーツをする人たちの心技体の中に、具体的なヒューマニズムの現われを見ることだ、と考えた。そう考えて、やっと一歩を踏み出すことができた。
こう書いてしまうと、特別どうってことはないが、ここまでたどりつくのに、随分時間がかかったと、なつかしく思い出す。 このようなポリシーの上に、「愛すべき神は細部に宿る」というアビ・ワールブルク(ドイツ美術史家)の言葉に導かれて、その具体的手法を探った結果として「江夏の21球」が発想できたのである。
「ナンバー」はこの4月で25周年を迎える。創刊された1980年(昭和55年)は創刊誌ブームで、245点の新雑誌が出た。25年経って、今、残っているのは、「ナンバー」と「ブルータス」の2誌だけである。熱心な読者に支えられて、ほんとうにありがたいことだ、と思う。 |