Qちゃんこと高橋尚子(33)が、10年間指導を受けてきた小出義雄監督(佐倉アスリート倶楽部代表)から独立して、今後は1人でマラソン競技を続けていく、という。
「監督に守ってもらえる甘い環境から抜け出して、ぎりぎりのところに自分を置きたかった」からだ、と記者会見で心の内を打ち明けた。
競技人生は残り2〜3年、北京オリンピックという高い目標を定めて、自分により厳しく、悔いのない練習をしたい、ということだろう。まことに意気盛んなものがある。昔なら向こう見ずの“男勝り”と言われただろうが、今は誰もそんなことは言わない。シドニー五輪の金メダルからの、彼女の自然な歩みとして、受け止めている。
1973(昭和48)年のオイルショックの前後から、「走る女」が次々に姿を現わして、街の風景を一変させた。1974(昭和49)年のボストンマラソン女子の部で、日本人女性のゴーマン美智子さんが優勝、1979(昭和54)年には、第1回東京国際女子マラソンが実施され、Tシャツに短パン姿の「走る女」は全国どこでも珍しくなくなった。社会的なウーマンパワーとして、すっかり日本に定着した。
走ることの意味合いが、男と女ではかなり違うのではないか、と思うことがある。市民ランナーの立場から見れば、男はまず健康のため、次いで記録、勝負に目が向くだろう。女の場合は健康、記録、勝負までは男と同じであったとしても、その上にプラスアルファがあるような気がする。男社会のしがらみをボーンと蹴飛ばす心意気、人間らしく生きたいという自己表現、である。そういう市民的な背景があって、Qちゃんの決断もあるのではないか。今や、マッチョ系の男らしさがはやらなくなってきたのだが、それに代わる男らしさはまだ発見されていない。端境期にあるような「男らしさ」に比べて、女は走ることによって、新しい「女らしさ」=「人間らしさ」というシンプルな表現手段を、確実につかんだように見える。
その延長線上に、たとえば、女子スピードスケートの若いホープ吉井小百合が、あるインタビューで「今、本当にスケートを楽しくやっています。『もういいな』と思う時がくるまで、だれよりも速い選手でありたい。あと、ママさんスケーターにもなってみたいです。結婚して子供を産んで、もう1回、トップ選手として五輪を目指すって、すごいと思うんです。それだけ理解してくれるだんなさんだったらいいんですけど」(朝日新聞5月9日、舞の海「戦士のほっとタイム」)というふうな発言は、昔なら考えられないようなことだが、それを、サラリと言ってのけている。
女子バスケットボール界を代表するセンター浜口典子(31)が、9月開幕のWリーグの下部、W1リーグのアイシンAWで現役復帰するという。昨年のアテネ五輪で、2度目の大舞台をふんで、1度は現役を引退したが、「自分の存在意義が分からなくなって」いたとき、トレーナーの一言で現役復帰を決めた、という。迷いの霧が晴れた。
また、バルセロナ五輪は銀メダル、アトランタ五輪は銅のマラソンの有森裕子(38)が、「来年2回、フルマラソンを走って、最後のマラソンにしたい」と言う。その言やよし、である。
無数の市民ランナーから、エリートのプロアスリートに至るまで、女性が「走る」ことできりひらいた世界は、まことに広く、深い。それこそが日本の活力だ、といってもいいくらいの迫力に満ちている。 |