男泣き、という姿を殆ど見なくなった。勝って泣き、負けて泣く、のが当たり前だった甲子園の高校野球でも、最近は泣く姿が少なくなったような気がする。 例外は清原和博選手である。8月9日、現役引退を決めた“大魔神”佐々木主浩投手のラスト・ピッチングで、清原は泣いた。プロ球界同期生の清原は、佐々木の外角に大きくはずれるフォークボールを空振りして三振した。打席に入るとすぐウルウルとなり、目に涙がふくれ上がった。とてもボールを見きわめられる状態ではないように見えた。 試合後、清原は「いろんなものが込み上げてきて、本当に寂しいよ。成績ではなくて、最後は日本球界で、という生き方に敬意を表したいな。また1人サムライがいなくなるのは寂しいが、オレも力の続く限りやっていく。佐々木の魂はもらった」。(8月10日付日刊スポーツ) 「佐々木の魂はもらった」というあたりが、いかにも清原らしい。浪花節的だ。寅さん映画に出てきそうなシーンであり、セリフであり、なつかしい古典的日本人を見るようである。 清原と正反対のクールなタイプであるイチローのセリフは、どこまでも人を考え込ませる力をもっているが、清原のセリフは聞いただけで実によく分かる。イチローは知の言葉、清原は情の言葉、といったところだ。 清原の涙で忘れられないのは、何といっても昭和62年(入団2年目)の日本シリーズである。西武対巨人は3勝2敗。その第6戦、リードされた巨人の攻撃も9回、2死走者なし。あとひとりコールが西武球場にこだますと、ファーストの守備位置についていた清原は、まさに男泣き、大粒の涙をこぼしつづけた。 2年前のドラフトで、あこがれの巨人から指名されず、あろうことか早大進学を表明していたPL学園同級生の桑田真澄投手が指名されたのである。清原は裏切られた思いが強かったにちがいない。その悔しい思い、怨念に近い思いが、球界の盟主・巨人を破って日本一になることが決定的になった瞬間、どっと涙となって吹き出してきた、というわけだろう。あれには、もらい泣きした人も多かっただろうと思う。 丸谷才一さんによれば、男泣きが少なくなったのは、日本人の言語表現能力が高まったからではないか、という。今は大相撲の力士でも「ハア、ウー」だけの力士はなく、よく話せるようになってきた。自分の気持ちが充分に表現できなくて、思いだけが胸の中で高温高圧の状態になって、一気に涙となって吹き出し、男泣きとなるようだ。 8月13日、清原は左ひざ治療に専念するため、出場選手登録を抹消された。山本ヘッドコーチと話し合ったあと、清原は「足がちぎれるまでやりたかったが、治療に専念してくれ、ということだったので」といささか不満そうに語っている。(8月14日付朝日新聞) この談話からは強制的に登録抹消させられた匂いが感じられる。「足がちぎれるまでやりたかった」というあたりが、清原ならではの"魂のセリフ"である。 昔、江川卓投手が中村稔コーチに「腕が折れよとばかり投げてみろ」と言われて、「腕が折れたら、ボールは投げられない」と反発したことがある。この反発、これはこれで面白い。コーチが選手に対して浪花節的になってはたまらない。 男の美学は、虚実皮膜論ではないが、多少とも「虚」の味わいがないと成立しない。清原の生き方、言動にはどこかしら「虚」なるものが感じられて、いつも面白く見ている。浪花節的生き方も、立派な男の美学なのだから。 |