400メートル障害で為末大の3位入賞というヒットはあったが、第10回世界陸上競技選手権(8月14日閉幕・ヘルシンキ)の日本勢は、平凡な成績で終った。(3位2人。前回2位1人、3位3人)。オリンピック後の大会、一息ついている感じだ。 気になるのは、関係者による終了後の“分析”だ。相変わらず「キャリアの乏しさ」が足踏みの原因とされ、積極的な海外転戦が必要、という。 陸上競技に限らず日本のスポーツは、つねにこの課題を抱え、その都度、対策が打ち出されるが、いつの間にか振り出しへ戻る。 ハタから見ていると、近年、国内トップクラスの強化環境は、かなり整えられている。 潤沢とまではいかないものの、日本オリンピック委員会(JOC)などによる予算もしっかり計上され「キャリア」を積む状況は、以前とは比べものにならない。
それでも、問題は解決していないのである。 「キャリア」を、単に場数(ばかず)だけでとらえているからではないか。 外国人選手や外国チームに対して物怖じ(ものおじ)しなくなった、などといわれるが、それは、「キャリア」というほどの話ではない。現代の気風に生きる若者なら、誰もが持ち合わせる資質だ。 国際舞台で勝負を挑み、勝負を仕掛ける「キャリア」とは、どのような条件でも1人で乗り越えて行けるたくましさ、だ。 行きとどいた体制のなかで、ヌクヌクと育っていては、メダルを狙えるような「キャリア」はいつまでも生まれない。 ユース、ジュニア時代から、さまざまな国際経験を手軽につめるヨーロッパ勢と日本では、地理的不利を否めないが、それをカバーする方法は、いくらでもあろう。 少人数編成での転戦や、外国生活を体験しながらの長期トレーニングなどで、これまでに効果をあげたスポーツもある。 それにしても、現地における陸上競技への関心、人気は素晴しかった。 雨天のなか、多くの観衆が総てのレースを楽しみ、引き立てていくさまは見事で、フィールド種目では、係員も手拍子を打つなど、その雰囲気は、テレビ画面からも、充分に読みとれた。 ロードレースの沿道に並ぶ日本の大観衆は、いまや国際的にも有名だが、一転、スタジアム種目となると、寒々しいばかりの風景だ。 主催者たちに、明らかにマネージメントのキャリアが欠けている。 つねに満員を、と望まなくとも、2年後に2度目の世界陸上を迎えようとする国なのだ。寂しすぎよう。 チエをしぼって動員を図り、それらしくその場をつくろう勘定はすでにたてられているのだろうが、一過性では、いつまでも、フアンのキャリアは高まらない。 オリンピックや世界選手権で身近にする陸上競技の面白さ。それはテレビのためだけに行われているわけではないのだ―。 |