夏の甲子園は、駒澤大学付属苫小牧高校が57年ぶりの2連覇という快挙をなしとげて、みんなをアッといわせた。1948年、小倉中学の2連覇のときとは、野球環境はまったく違う。問題になった野球留学などはなかった時代。その頃にくらべれば、今は金のかかった野球強豪校がいくつもある時代である。そんな中での道産子の2連覇には、正直驚いた。 34歳という若い香田誉士史(こうだ・よしふみ)監督の手腕が卓越していたのだろう。昨年の優勝は今年のプレシャー、きびしい練習を課す一方で、南北海道予選の直前に、選手を川下りにつれて行ったり、甲子園でも初戦突破を果たすと、人気テーマパークの「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」に出かけたりしたそうだ。(8月21日付朝日新聞「ひと」欄)若者の気持ちをつかむのが上手な監督のようだ。 話はとぶが、2004年度ミズノ・スポーツライター賞の最終候補作品に、渡辺徹也さん(北海道新聞運動部)が新聞に連載した「2時間54分の熱戦譜―04夏
駒大苫小牧vs.済美」が残った。春夏連覇を狙う済美(愛媛)に、13対10で打ち勝って、深紅の大優勝旗が初めて津軽海峡を超えたのだが、その決勝戦を1イニング毎に克明に追い、準決勝までの戦いぶりももりこんで、巧みに駒大苫小牧の試合ぶりを伝えていた。 惜しくも入賞はのがしたが、この作品で強く印象に残ったエピソードがあった。甲子園のあと、高校選抜チームを率いて、台湾で行われたAAA選手権に出場した横浜高校の渡辺監督のコメントである。 帰国後、駒苫の鈴木、糸屋両選手から「お世話になりました」とお礼の葉書がきたそうだ。「2人だけでした。横浜が負けた理由がわかった気がした。純粋な心が集まって、チームプレーと結晶した。うちはそれがなくて、つなぐことができず、個々の野球だった」 このエピソードから、精神論をひき出すことはない。礼儀をわきまえた選手がいたから、駒苫には技術を超えた強さがあったのだ、などと言えば、たちまち過剰な精神主義野球礼讃になりかねない。ただ、当たり前のことが当たり前にできる高校生が駒苫野球部にいて、そのチームが全国優勝を果たしたということが、何とも気持ちがよいのだ。 家庭のしつけがよかったのか、香田監督や野球部長の教育がよかったのか、とにかく、お世話になりました、と渡辺監督に礼状を書いた駒苫の選手がいたことを、書きとめてくれていたことを、2連覇でまた思い出させてくれた。うれしいことだった。渡辺記者の丹念な取材のおかげだ。 道新記者・渡辺徹也さんにぜひ、駒大苫小牧の2連覇を重層的に取材して、北海道の風土と人間のからむ、スケールの大きい野球ノンフィクションを書いてほしいものだ。 |