セルゲイ・ブブカ氏がウクライナ・オリンピック委員会の会長になったというニュースは、ごく短い新聞記事ながら、なかなかに味わい深いものだった。しかも、その記事の後段には、会長選の投票では前首相のヤヌコビッチ氏に大差をつけたとあった。ウクライナのスポーツ人たちは、指導者として、またさまざまな選択を託す舵取り役として、政界の有力者ではなく、まだ現役を退いてさほど間がない名選手の方を選んだというわけだ。
41歳のブブカ氏には、まだ現役のイメージが強い。陸上史最高の棒高跳び選手が、いまも残る6メートル14の世界記録を持ったままフィールドを去ったのは、つい5年前のことだ。日本なら、この年齢、この経歴で競技団体のトップに立つことはないだろう。とはいえ、引退直後からIOC理事も務めてきている彼は、国際舞台での幅広い人脈と経験を培ってきており、NOC会長としても、何の問題もなく手腕を発揮していくに違いない。
ひるがえって、日本のスポーツ界はどうだろう。既に触れたように、引退後数年というキャリア、40歳ちょっとの年齢では、主要な競技団体のトップや中心的存在になることはまずない。せいぜい強化スタッフの長を務めているくらいだ。
だが、そうでなければいけないのだろうか。もちろん、そんなことはない。競技団体の運営がそう簡単なものではないのは当然だが、一線の競技者だった者が、働き盛りの年齢で中心的な役割を担えるのなら、それに越したことはない。アスリートのための団体には、アスリートならではの生きた経験と知恵が不可欠だからだ。
日本でも、ブブカ氏のように、若くして重要な地位につく元アスリートが出てきていい。かつての名選手がトップの役職につくことも少なくはないが、だいたいはかなり年配になってからのことだ。競技団体では会長に政治家や財界人が招かれることが多い。政財界でのパワーや資金調達力が期待されるからだが、スポーツ団体がそうした面ばかりを重視するのはどうなのか。組織にはさまざまなキャリアの人々が必要だが、スポーツ団体ではやはりスポーツ人が中心になった方がいい。選手は競技をするだけで、団体の運営は別物というのでは、真のスポーツ文化は生まれてこないだろう。
競技団体は、もっと元選手たちを活用するべきだし、選手の方も、自分たちが将来のスポーツ界を担っていくのだという自覚を持ってほしい。そうなれば、旧態依然たるスポーツ界にも変化が生まれるのではないか。
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