WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、日本が初代チャンピオンになった。薄氷をふむような試合の連続だったが、粘り強い戦い方で、優勝した。おみごと、としかいいようがない。中で、韓国の異様なまでのがんばりが、予想を越えた盛り上がりにつながった。試合日程やアンパイヤの誤審問題など、いくつか将来的な課題を残したが、何回か大会を重ねていけば、あるいはサッカーのW杯のような、地球規模の発展を見せるかもしれない、と大いに期待をもった。 朝日新聞3月20日付朝刊の社会面で、韓国の日本に対する強烈なライバル意識、とくに「イチロー日本」への批判をとりあげたのが目に止まった。 「開幕前にイチローが『向う30年は日本に勝てないと思わせる勝ち方をしたい』と語ったことが『妄言』とされ、韓国が日本に勝つたびに『30年発言のイチローは、どう言い訳するつもりか』と、あざけるような論調が流れた。その後もイチローの『野球人生で最も屈辱的な日』(2度目の敗戦で)、『同じ相手に3回も負けることは許されない』(準決勝前)といった発言が連日、大きく取り上げられていた。日本の勝利にリーダー格のイチローの言葉は滑らかだった。『(3回負けたら)日本のプロ野球界に大きな汚点を残すことと同じだった』と誇らしげ。『最高に気持ちいい』と笑顔を見せた」(サンディエゴ=安藤嘉浩) 日本のみならず、大リーグでも抜群の成績を残しているイチローの発言だけに、よほど韓国のファンの神経にさわったに違いない。 それにしても、イチローのWBCにおけるチームJAPANに対する愛情、チームリーダーとして声をかけ、先頭に立ち、チームプレーに徹する姿には驚いた。こんなホットなイチローは、初めて見た。 イチローの野球愛は深く、熱いものがあるのはたしかだが、その現われ方はクールで、チームより個人の輝きが大きい、というものだった。剣聖・宮本武蔵が孤高の道を歩んだように、イチローはひたすら球聖へ向かってダイヤモンド行脚を続けているように見えた。「チームあっての個人ではなく、個人あってのチームだ」「勝負にこだわり、勝ちさえすればいい、というのはアマチュアだ」・・・など、徹底した個人主義、素晴らしきエゴイスト、という感じを持っていた。 長嶋茂雄が「私の中のみんな」の声を聞きながら、みんな(ファン)のために私を高めていったとするなら、イチローは「私の中の私」の声を聞きながら、どこまでも「私」を磨くことで、ファンを喜ばせようとした。 高い山の頂上に登るルートは一つではなく、それぞれのルートを独自に探さなければならないのだ、と思わせるものがあった。 それが今回のWBCでは、イチローが“変身”したのではないか、と思わせるようなコメントを出し、プレーしたように思える。オリンピックの野球には、殆ど興味を示さなかったイチローが、なぜWBCにはこんなに熱く燃えたのだろう。 日本野球界にもメジャーリーグにも、新しい歴史を刻んできたイチローにとって、WBCは「第1回」、つまり新しい野球の歴史の始まり、という予感があったのかもしれない。いろんな条件、環境の未熟はあるにしても、将来、必ず大きな流れになり、野球の地球的な規模への拡大につながる、という確信があったのだろうか。 もうひとつ、6年前、イチローがマリナーズに入団したときのメンバー―たとえば、マルチネス、オルルッド、キャメロン、ブーン、ギーエン、ウィルソン、ウィン、佐々木、長谷川・・・など、ピネラ監督の下で地区優勝したときのメンバーは、すっかりチームから消えてしまった。それがメジャーの常態だとしても、フロント、GMの不手際か、補強はままならず、ここ数年は下位低迷がつづく。チームの一体感が失われた、とイチローは感じたのではないか。チームの体温が下がりっぱなし。それをおぎなうように、チームJAPANでチームの一体感を強め、再確認し、それをモチベーションにして、今シーズンを迎えようとしたのかもしれない。 |