2月末にイタリア北部バルディフィエメで行われたノルディックスキー世界選手権で、日本ジャンプ陣は個人銅メダル2つ、団体で銀メダルを獲得した。 今季のW杯ランキング個人総合では12位がトップ、全選手のポイント合計である国別ポイントではトップ・オーストリアの四分の一に満たないポイントで6位のチームにとっては、望外の成績を収めたといえる大会だった。 船木、東、宮平、葛西で臨んだ団体戦は、船木の27歳が最年少というベテラン揃いのチーム。船木が1本着地に失敗した以外はミスなく、それぞれが最高のパフォーマンスを発揮した。 最後に葛西が大ジャンプを決めて、今季の台風の目、ノルウェー選手にプレッシャーをかけ、銀メダルをもぎとった展開は、多くのジャンプファンにとって感動的であっただけでなく、しみじみと感慨深いものであったに違いない。 中学時代から天才と言われた葛西は30歳。16歳の初出場以来、6度目の挑戦でついに世界選手権個人のメダルを手にした。ガラスのハートを持つ悲運のエースと呼ばれた葛西が「僕一人だけ」と喜ぶ3個のメダルを獲得できたことは、所属する土屋ホームのチーム体制と深く関わりがある。 一昨年11月に誕生した土屋ホーム・スキー部は、今まで日本のジャンプ界を支えてきた企業チームと多くの点で違いがある。往年の名ジャンパー秋元正博氏のサポートを得ながらも、土屋はジャンプの技術コーチをフィンランドから迎えた。 ペッカ・ニエメラ・コーチは選手としてはさしたる実績はなく、28歳と若いが、クオピオのプイヨ・スキークラブでフィンランドBチームのコーチをしながら、ジャンプ技術をみっちり学んだ。 土屋との今季の契約は3ヶ月。もちろん、社員になったわけでも、コーチ引退後は社員になるわけでもない。複数の選手やチームと契約して、コーチだけで報酬を得るプロ・コーチだ。 昨季の葛西は、素早く力強く踏み切り弓矢のごとく飛んで行くポーランドのマリシュ型のジャンプを目指し、失敗した。今季は、もともとの自分の「じわじわ踏んでいく」踏み切りに戻そうとは思っていたという。 しかし、ニエメラ・コーチは、空中姿勢も変えるよう要求した。 自分より実績のない年下のコーチの指導を受けることに、葛西は「やっぱり抵抗があった」と言う。しかし、6月のフィンランド合宿で150mを飛んだことをきっかけに、葛西は空中で腰を折る、近頃「くの字」ジャンプといわれるオーストリア・フィンランド・スタイルをものにしようと腰を据えて取り組んだ。 今季話題となっているジャンプスーツも、フィンランド経由で新仕様のものを1月末に手に入れている。 1月には、本人もニエメラも「まだ不安定」と言っていた葛西のジャンプは、2月に入ってすべてがピッタリとはまり出した。そして9日、ドイツのW杯で2年ぶりに優勝。定まらない強風のために1本で終わった試合だったが、2位になった宮平とともに、非常に完成度の高いジャンプだった。 この葛西と宮平が引っ張った日本チームの世界選手権団体戦銀メダルは、1月には最悪だったナショナルチームの雰囲気を劇的に変えた。日本で試合と練習に明け暮れる選手たちに、自分たちにもやれると思わせたこと、若手選手への力強いメッセージとなったことでも、今回のメダルの意義は計り知れない。 しかし、このメダル3個は、ベテラン選手たちが自分たちの観察と工夫と努力、そして経験で勝ち取ったものだったことを忘れてはならない。 今回のメダルは、組織的な強化の成果ではない。そして、今回の好成績で今後の方針が見えたと言える種類のものでもない。 日本の指導者、関係者が認めているように、世界のジャンプはどんどん変わっている。地理的に孤立していて、夏の通常の練習で他国の様子を見ることのない日本は、変化を察知するのが遅くなる。 常に「今、飛べるジャンプ」を探して研究を続けることが、世界のトップでいるためには不可欠だ。それは選手個人には無理なことであり、今の時代では一つの企業チームにとっても困難だろう。 風洞実験ももっと必要かもしれない。効率的な体作りのためには、その専門家の知恵もあった方がいい。選手個々の飛び方とスキー、スーツ、ブーツのマッチングの研究ももっと重要視されていいし、欧州のメーカーとのパイプはもっともっと太くしなければならない。 これらを、企業単位ではなく、ナショナルチームとして進めればいいのではないか。 選手の強化はやはり伝統のシステムである企業チームで行うにしても、ナショナルチームを、「今、飛べるジャンプ」を様々な面から分析し、企業チームに伝える存在とはできないか。 自分たちがやってきた通りのことを選手に教えれば勝てる時代ではない。 とはいえ、長くジャンプを支えてきた各企業にはそれぞれコーチがおり、ゼロから始めた土屋のようにプロのコーチを抱えることはできない。そもそも、日本にはプロ・コーチと呼べる人材はいない。育む環境がないからだ。 トリノ五輪、07年の札幌世界選手権のための強化は、企業チームとナショナルチームの位置付けを今度こそはっきりさせることから始まる。 企業の持ち回りでコーチを出し、企業が育てた選手を預かるナショナルチームでは、コーチ選びでも選手選びでも、バランスをとることに腐心することになる。体作りからジャンプ技術まで実際にナショナルチームで行うシステムは、否定された。 日本の実情に沿うシステムを、先送りにせずに今作る必要がある。 協賛金が集まらない時代ではあっても、仕事を求める人の多い状況は、報酬は少なくても実績作りの場としてスキージャンプ・ナショナルチームを選ぶ施設や人材を求めやすくしている。多方面の専門家の知恵を集めることは役に立つ。 世界選手権で中断していたW杯が再開し、初戦の団体戦ではオーストリアが優勝し、船木、高野、宮平、葛西で臨んだ日本は4位だった。次の個人戦では葛西が5位、宮平が10位、船木と高野は30位以内に入れなかった。 強いオーストリアは世界選手権では惨敗した。いつもの顔ぶれの並ぶ試合であっても、2年に一度だけの大会という重圧は、今季から世界に出た若手には背負いきれないものだったということだろう。 しかし、19歳、1年目の選手を団体戦アンカーに起用して失敗したオーストリアと、百戦錬磨のベテランの力で結果を出した日本の、どちらが次の五輪で好成績を収めるかはわからない。
今、一番大事なことは、ベテランたちが奮起して勝ち取ってくれたメダルを、日本のジャンプ界の歩みを遅らせるものと決してしてはならないということだ。 |