野茂英雄(34歳)がメジャーリーグ(MLB)で100勝を飾った。
専門的、スポーツ的評価は他所に譲るとして、彼の功績の1つは、本場アメリカのベースボールを、日本のファンに身近なものとさせたことだ。
衛星放送(BS)で、MLBを見た野茂が「ああいう所でプレーしたい」と語ったのを聞いて“いい時代”がきたと感慨を深めていたのは「パンチョ」の名で知られる伊東一雄さん(故人)だ。
野茂100勝、をMLB愛に満ちた伊東さんに見て欲しかった。
BS放送は1984年5月に実験を始め、87年7月に24時間放送と進んだが、当初からMLBを、フットボール(NFL)、バスケットボール(NBAとカレッジ)などと並ぶ、売りものにした。
ところが、NFLやNBAに比べて、MLBへの支持はそう高いものではなかった。
ベースボールといえば、セ・パ両リーグそれに甲子園、というのが“日本の趣向”だったのである。
MLB枠縮小案が出かかったところへ、野茂のロサンゼルス・ドジャース入り、だ。
1995年5月3日の初登板(対ジャイアンツ)から「野茂登板予定試合」は、一気にBSの看板になる。
“日本の状況”が変化する。野茂の姿を通して茶の間の目を野球からベースボールへと移した。楽しげなボールパーク風景の新鮮さも含めてである。
BSは、それまでも、このムードを伝えていたのだが、もうひとつ縁遠かった。
次々とメジャーリーガーが生れる。Jリーグの若者たちも、ヨーロッパに夢をはせ、現実のピッチをかけめぐる。
ラグビー、バスケットボール、アメリカンフットボール、ハンドボール。多くのスポーツで、野茂と同じように“ああいう所で”を志すアスリートが続く。たしかに“いい時代”である。
一方で、日本のスポーツは、自分たちのステージを“いい所”にするための努力をしているのだろうか。疑わしい。
校内や社内をホームとする発想が限界になり、あわてて地域だの、トップクラブやリーグの経営だのといっても、ファンは“ああいう所”を知ってしまったのである。即席的に展望が開けるものではあるまい。
野茂英雄や中田英寿の健闘を、賞賛するばかりでなく、いささか遅いが、日本のスポーツ界全般が、あらゆる面で世界のトップゾーンに成熟する体制と姿勢を整えるべきだ―。
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