2002年度のミズノスポーツライター賞については、すでに上柿和生さんの報告があった(注1)。 私は、慎武宏「ヒディンクコリアの真実」(最優秀賞)と河崎三行「チュックダン!〜在日朝鮮蹴球団の物語」(優秀賞)について考えたことを少し述べてみたい。
サッカー本が2作受賞したのは、いかにもW杯サッカー日韓大会の年にふさわしい快挙だった。それも、2作とも朝鮮・韓国のサッカーをテーマにしているのが、とりわけ目を引いた。
慎さんはオダンラ人のヒディンク監督が、長幼の序にもキビシイ“儒教の国”韓国に、欧米の異文化を持ち込んで、衝突をくりかえしながらチームを鍛えたことを、1人ひとりの選手に丁寧に取材して描いている。 Jリーグでおなじみの洪明甫選手が「韓国人監督の場合は往々にして、主従関係になった。ヒディンクと選手は大人と大人の関係がつくれた」と語っているのが印象的だった。誰も予想できなかった「韓国4位」は、肉体的な技術以上に、人間関係の革命という、心の技術によってもたらされたのかもしれない。
これに比べれば、トルシエ・ジャパンは大人と子供の関係(一説にはトルシエの方が子供、ともいわれたが)か師弟関係、といえるだろうか。このあたりは日韓の民族性のようなものが現れているようで面白い。
河崎さんの作品は、1961年に朝鮮総連の後押しで在日の優秀な選手が集められ、結成されたチームが、1999年に消滅するまでの39年間の歴史を、これまた多くの選手の取材を丹念に積みあげて書いた秀作だ。 登場する選手たちが在日差別の中で鍛えられた、いかにも骨太の人生観の持ち主が多く、その言動がまことに魅力的だった。
たとえば、呉東根選手が息子に民族教育を受けさせたいと、朝鮮学校に進ませた。ある日息子が帰宅して「お父さんなる金日成」と叫んだ。すると呉選手は「アホかお前!お父さんはオレや」と叱った、という小さなエピソードは、ここにも「大人」がいる、と感じさせる。
もう一つ忘れがたいエピソードがある。95年にジュビロ磐田入りした金鐘成選手に、オランダから来ていたファンネブルク選手が、そんな高い技術を持っている君は、なぜもっと早くプロ入りしなかったのか、と訊いた。
金選手が口ごもっていると「together?」といい、そうか君は在日の仲間たちと一緒にプレーすることを何よりも大切にしたから、チュックダンを離れるのが遅くなったんだね、と理解してくれた。 ホロリとするようなエピソードだが、こういうさりげないエピソードの中に、スポーツは人の心を開かせる力、心と心を結びつける強い力をもつことがよく示されていて、ほんとうにうれしくなる。ユニークな日本戦後史として貴重なものだ。
朝鮮、韓国の問題は往々にして、日本人にとって“つまずきの石”となる。北朝鮮拉致問題や従軍慰安婦問題を考えてもそうだ。 私たちの世代は、戦後60年を通じて、つまずきの石を上手に取り除くことはできなかった。 在日の慎さんは31歳、河崎さんは38歳、2人の作品を読んでいると、こういう若い世代はそれぞれの活動の場で、ひょっとすると上手な付合い、スムーズな普通の関係を、日韓、朝の間に作り出してくれるかもしれない、と一筋の希望の光を見たような気がする。
■2002年度ミズノスポーツライター賞 http://www.mizuno.co.jp/zaidan/writer13.html
(注1)vol.138 (2003年3月19日発行) 「ミズノスポーツライター賞選考から見える日本スポーツジャーナリズムの今」(上柿和生/ミズノスポーツライター賞選考実務代表委員)
http://www.sportsnetwork.co.jp/adv/bn/vol138.html#02 |