スポーツの試合中、思わず審判に「このくらいは見逃してくれてもいいじゃないか」と言いたくなるような小さなミス・プレーを発見されて笛を吹かれ、それを契機に試合の流れが相手に移って苦戦したという経験をもつ人は多い。 もう半世紀近くも昔のことになるが、オリンピック東京大会の女子バレーボールで、決勝の日ソ対抗戦の最後の得点はソ連チームのオーバーネットだった。この場面はその後もしばしばテレビで再放送されたから多くの人が記憶しているだろうが、審判の笛が鳴ったとき、プレイヤーも観衆も何があったのかよくわからず、審判のジェスチャーでソ連選手のオーバーネットがあったことを知った。 そして、この時、ソ連選手のなかに、サービスをレシーブしたボールがネットを越えていくのを指先でホンの僅か触れただけで、スパイクを打ったわけでも、バックアタックをしたわけでもないのだから「見逃してくれてもいいじゃないか」と思った人がいたかもしれないし、審判の判定に対する異議や抗議を禁止するというルールがなければ、おそらく監督は審判台に駆け寄ったことだろう。 1993年8月、第4回世界陸上選手権大会がドイツのシュツットガルト市で開かれたとき、女子の100mレースでゲイル・ディバーズとマーリーン・オッティの2選手が同着でゴール・インした。記録は両選手とも10秒82であったが、優勝はディバーズ選手とアナウンスされた。 しかし、オッティ選手がこれに異議を唱え、「上訴審判団、写真判定員が3時間かけてゴールのビデオを分析し、ディバーズが10秒811、オッティが10秒812」という1000分の1秒差でディバーズ選手の勝利と判定した。 それをどのように発表するかということをめぐっては、「5人の審判員のうち、2人は両者優勝を主張、3人は着差ありと発表という意見」の違いがあったという。(朝日新聞、'93年8月18、19日)。 これは審判の判定(その背後には機器による着順判定がある)に対する異議の申し立てと処理の具体例で、これに類する出来事や事件は大会ごとに数多く出現し、マフィアが暗躍しているというニュースもあった。 幸い、この陸上競技大会では1000分の1秒レベルで判定できたが、それでも同着の時は10000分の1秒レベルの判定になり、これが不毛の法技術主義に陥ることは多言の必要がない。 この時の異議申し立ては両選手が年来の宿敵ということもあったが、本当の理由はメダルの色の違いがその後の物質的利益の多寡を決めるということにあり、その根源にはスポーツのモットーになってしまった(本来はオリンピックのモットー)「より速く、・・・・・」主義がある。 そして、このような欲望肯定主義を認めている限り、ということはスポーツの「近代性」にとりこまれ、それを普遍と信じている限り、人間はこの軛から逃れることができない。 1845年に成文化されたラグビー校のフットボール・ルールは、「両チームのキャプテンもしくは彼らに指名された代理人の話し合い」でトラブルを処理、解決すると述べていた。今年の5月に亡くなったアメリカの社会学者D・リースマン氏は、これを「コインの表か裏か」で決める幼稚な方法と揶揄した。 しかし、たとえ未分化な水準であったとはいえ、審判不在でラグビーがプレーされていたということは、そこに高度な自己規制の意志が機能していたことを示すもので、スポーツにおける理想の一面が実現されていたと言ってよい。現代のスポーツはこれの継承を忘却、断念あるいは無知の上でプレーされている。 一体、われわれはなぜこのような選択をしたのかということをそろそろ問わなければならないのではなかろうか。 |