2004年8月11日からギリシャのアテネで開催される夏のオリンピック大会の入場券が早くも5月12日から売り出された。 近代オリンピック第一回大会が1896年にアテネで開催され、久しぶりにアテネに戻っての開催は嬉しい。 私は1996年の百年祭大会がアテネで行われることを強く望んでいた一人だったが、しかし、残念ながら米国アトランタの開催となった。 実は、私は、オリンピック大会を毎回場所を変えることなく、基本的にはアテネで毎回行うことを考えたらどうかと思っている。 オリンピックも1984年のロサンゼルス大会あたりから商業化され、クーベルタン男爵が組織した当時の国際オリンピック委員会(IOC)の精神も失われてしまった。 初開催地であるアテネに各国の援助を得てしっかりしたオリンピック施設を造り、けばけばしくない純粋なスポーツ大会を開催したらよいように思う。 1988年のソウル大会の際に国際オリンピック・フォト・プール(IOPP:オリンピック憲章で認められた国際通信社で組織された当時の写真代表取材のこと)の役員をしていたため、かなり早い時期から会議などで現地へは何度も足を運んでいた。 そんなわけでファン・アントニオ・サマランチIOC会長(当時)のスポークス・ウーマンであったミッシェル・ベルディ女史とも顔を合わせる機会が何度もあった。 知人でもあった彼女には、オリンピックの件でも私はざっくばらんにいろいろなことを言っていた。 ある日、夕食を共にした際に「百年祭のオリンピックは何としてもアテネで開催されるべきだ」との主張を彼女にしたことがあった。 ベルディさんは「アテネは当時経済的問題のみならず、治安の問題も憂慮しなければならないし、IOCとしてアテネはあまり有り難くない」旨のことを、私にした。 私は畳みかけるように「オリンピック大会は今後常時アテネ開催にしたらよい」というのが、実は、私の主張でもあることを伝えた。 彼女はオリンピック開催がいろいろな国や地域で行われることは、その場所の経済の発展や活性化を促すために大いに役立っているのだ、と私の主張に反論していた。 オリンピック開催地には多くの国々から選手だけでなく大勢の人達が集まり、他国を理解する機会を与えたり、国際交流の役割も大いに果たしたりすることであろう。 しかし、前回のワールドカップ・サッカー大会で新設した競技場ですら、我が国ではその後の維持に苦慮しているのが現状だ。最近は陸上やサッカーのみならず、それぞれのスポーツ大会が非常に充実し大きくもなっている。 オリンピック開催地を固定して、商業主義に走らないオリンピック大会は出来ないものだろうか。 |