7月15日に締め切られた2012年夏季オリンピック開催希望都市のリストに「大阪」の名はなかった。
届出の準備がまったくされずにいたのだから驚くにはあたらないのだが、2008年の誘致を、あれほど熱っぽく内外に働きかけていたのだ。さっぱりしすぎた撤退は、気になる。
日本のスポーツ界の“熱気”は、何ごとにも一過性だ。大阪の一件も、正にそれである。 北京を相手に、早い時期から不利を予想され、国際的には辞退を促すムードさえのぞいたが、大阪は、夢を追った。
国際オリンピック委員会(IOC)総会〜01年7月・モスクワ〜での投票結果は厳しかったが、日本のスポーツ界は、それだけの話、ですませて終えた。
オリンピック招致という大事業、難事業は、都市の意欲あってのものだが、国内オリンピック委員会を軸とするその国のスポーツ界のパワーも欠くことのできない要素だ。
大阪の財政事情など、社会状況の無視は許されぬが、この2年間、大阪と日本スポーツ界は、どれだけの“話し合い”をしたのだろう。 “再び”という気持ちを新たにさせる呼びかけは互いにあったのだろうか。
オリンピック開催都市の栄誉を得るには、その都市の知名度や情熱も大きく作用する。 1回で当選した「長野」(98年冬季)は、幸運に恵まれたケース、といってよく、「東京」(64年夏季)にしても、「札幌」(72年冬季)にしても、最初の立候補〜第2次大戦前を除く〜では、いずれも苦杯をなめさせられている。
大阪も、08年のあとを望みつづけていくのなら、12年、16年・・・と、「名と熱意を売る行動」が欠かせなかった。 それを支えるエネルギーを高めるのは“スポーツ側”である。
いつの時代も、オリンピックに限らず、どのイベントも、日本スポーツ界は、待ちの姿勢と外からのパワーにすがり、その機運へ乗って過した。 東京オリンピックから半世紀の間に、もういちど日本で夏季オリンピックを、という期待は消えた。「再び日本で」を目指すには、まずスポーツ人がリード役をつとめ、世論の輪を拡める姿勢を強めなければならない−。
注)IOC発表による2012年夏季オリンピックに開催の意欲を示した都市はハバナ(キューバ)、イスタンブール(トルコ)、ライプチヒ(ドイツ)、ロンドン(イギリス)、マドリード(スペイン)、モスクワ(ロシア)、ニューヨーク(アメリカ)、パリ(フランス)、リオ・デジャネイロ(ブラジル)の9都市。05年7月のIOC総会(シンガポール)で開催地を決定する。 |