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100号記念メッセージ

■vol.143 (2003年4月23日発行)

【杉山 茂】「野茂100勝」の教えるもの
【賀茂美則】アメリカにプロサッカー?


◇「野茂100勝」の教えるもの
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

野茂英雄(34歳)がメジャーリーグ(MLB)で100勝を飾った。

専門的、スポーツ的評価は他所に譲るとして、彼の功績の1つは、本場アメリカのベースボールを、日本のファンに身近なものとさせたことだ。

衛星放送(BS)で、MLBを見た野茂が「ああいう所でプレーしたい」と語ったのを聞いて“いい時代”がきたと感慨を深めていたのは「パンチョ」の名で知られる伊東一雄さん(故人)だ。

野茂100勝、をMLB愛に満ちた伊東さんに見て欲しかった。

BS放送は1984年5月に実験を始め、87年7月に24時間放送と進んだが、当初からMLBを、フットボール(NFL)、バスケットボール(NBAとカレッジ)などと並ぶ、売りものにした。

ところが、NFLやNBAに比べて、MLBへの支持はそう高いものではなかった。

ベースボールといえば、セ・パ両リーグそれに甲子園、というのが“日本の趣向”だったのである。
MLB枠縮小案が出かかったところへ、野茂のロサンゼルス・ドジャース入り、だ。

1995年5月3日の初登板(対ジャイアンツ)から「野茂登板予定試合」は、一気にBSの看板になる。

“日本の状況”が変化する。野茂の姿を通して茶の間の目を野球からベースボールへと移した。楽しげなボールパーク風景の新鮮さも含めてである。

BSは、それまでも、このムードを伝えていたのだが、もうひとつ縁遠かった。

次々とメジャーリーガーが生れる。Jリーグの若者たちも、ヨーロッパに夢をはせ、現実のピッチをかけめぐる。

ラグビー、バスケットボール、アメリカンフットボール、ハンドボール。多くのスポーツで、野茂と同じように“ああいう所で”を志すアスリートが続く。たしかに“いい時代”である。

一方で、日本のスポーツは、自分たちのステージを“いい所”にするための努力をしているのだろうか。疑わしい。

校内や社内をホームとする発想が限界になり、あわてて地域だの、トップクラブやリーグの経営だのといっても、ファンは“ああいう所”を知ってしまったのである。即席的に展望が開けるものではあるまい。

野茂英雄や中田英寿の健闘を、賞賛するばかりでなく、いささか遅いが、日本のスポーツ界全般が、あらゆる面で世界のトップゾーンに成熟する体制と姿勢を整えるべきだ―。

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◇アメリカにプロサッカー?
(賀茂美則/スポーツライター:ルイジアナ発)
「MLSって何だか知ってる?」と聞かれたら、平均的なアメリカ人は、考えこんでしまう。中には「不動産物件のリスティングシステム(Multiple Listing Service)!」 と答える人もいるに違いない。

正解は「Major League Soccer(大リーグサッカー)」。J-リーグやセリエAのように、アメリカにもプロのリーグがあるのだ。

今年から洪明甫がロサンゼルス・ギャラクシーに移籍したことで、その存在を初めて知った日本人もいるだろう。東地区と西地区に5チームずつ、今年のシーズンは開幕したばかりで、10月まで行われる。

先日、そのMLSのシカゴ・ファイアとコロラド・ラピッズが筆者の住むルイジアナ州バトンルージュ市で試合をした。とは言っても地元のサッカー協会が招待して初めて実現したオープン戦の最終試合である。

ルイジアナ州立大学のサッカーフィールドに特設の観客席を設営し、入った観客は3000人余り。1試合平均で1万人以上、試合によっては4万人以上も集める両チームにとってみれば「田舎の消化試合」でもおかしくなかった。

試合に先立つ雨のせいでピッチの状態はベストではなかったが、試合は白熱し、目もさめるような速攻で入れた虎の子の1点を守りきり、シカゴが勝った。

観客のほとんどはサッカー選手やその親たちで、生で「本物」のサッカーを見るのは初めてという人がほとんど。キック力やパスの速さと精度、トラッピングの正確さに感嘆していた。

全力での試合はもちろんだが、感心したのは試合後のサイン会である。

アメリカ代表のビーズリーやマストレーニなどが30分以上かけてスタンドのファンにサインをしていた。アメリカの田舎にもサッカーを広めようという意気込みがはっきりと伝わってきたものだ。

我が家の息子2人には別のヒーローがいた。プログラムで見つけた、「ライアン・フタガキ」である。ひときわ背の低いUCLA出身のルーキーは後半最後の10分くらいしか出場しなかったが、両チーム唯一の日系人である。元日本代表の森島と似たタイプの運動量の豊富なミッドフィールダ−である。

試合後、フタガキ選手はルーキーということもあってか、人一倍長くピッチに留まってサインをしていた。日本語は「スコシ」しか話せないということだったが、サッカー少年である筆者の長男を「8年後には君の同僚だよ」と紹介すると会話が弾んだ。

アメリカ人ですら意外に感じることだが、全米で子どもの競技人口が一番多いのはサッカーである。広大な裾野があって初めてワールドカップ8強にも入れるというものだ。ただし、「見るスポーツ」としてはフットボール、バスケットボール、野球、アイスホッケーを相手に相当な苦戦を強いられている。

今回の「ドサ回り」でMLSのファンが何人増えただろう。バトンルージュでもたまに放送するケーブルTVでの試合の視聴率が少しは上がるだろうか。

MLSを何となく応援したくなる、後味の良い試合だった。

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