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100号記念メッセージ

■vol.144 (2003年4月30日発行)

【杉山 茂】  アメリカ、早くも7年さきのオリンピック放送権交渉へ
【市川一夫】静かなスタート 〜国立霞ヶ丘競技場の片隅で〜
【岡崎満義】若いライターへの期待 −第13回ミズノスポーツライター賞優秀作品を選んで−


アメリカ、早くも7年さきのオリンピック放送権交渉へ
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

イラクでの戦火が、ひとまず鎮まったこともあり、アメリカ・テレビ界は、2010年以降のオリンピック放送権に動き出した。

すでに来年のアテネ、06年のトリノ冬季、08年の北京までは、世界の主要放送界は、国際オリンピック委員会(IOC)との間に契約が、結ばれている。

アメリカは、NBCが、95年12月に早々とIOCを説き伏せ、当時は、3大会とも開催地が決まっていないことから話題になった。

結果的に、ヨーロッパ放送連合も日本(NHK・民放合同によるジャパンコンソーシアム)も、NBCを追うように“長期契約”をかわす。

IOCは、長期的な財政安定を図れるし、テレビ界側は、新勢力の登場に神経をとがらせないですむ。

この流れから見れば「2010年以降」がのぞき始めても、おかしくはない時期だ。

今回の注目は、各局の入札が久々に採られるのか、長期なのか単発(1大会)契約なのかの2点だろう。

シドニーから北京までの5大会(夏3、冬2)は、NBCが単独でIOCと水面下で交渉し、「アメリカは入札」というそれまでの慣例を崩した。

NBCは、オリンピックへの評価を、国内プロスポーツより上位に据えている印象はあるが、引き続きの“独走”は考えにくい。

ABC、CBS、FOXらが絡み合い、IOCがにんまりとする競争になりそうだ。

契約は10年冬季、12年夏季(いずれ開催地未定)のパッケージという見方が強い。
注目の金額は
トリノ冬季  6億1300万ドル
北京     8億9400万ドル
計15億700万ドルからどの程度の増額におさえこめるかだ。

アメリカのマスコミは、恐ろしいことに20億ドルラインを超える、とみており、夏は、ついに10億ドルでは収まらなくなる勘定だ。

夏の開催地がニューヨークになるか、も、カギだが、その決定は2年後である。そこまで待っての交渉とはならない。

アメリカの合意額は日本にも響く。ソルトレーク冬季とアテネ、トリノ冬季と北京は、いずれも合計額はアメリカ(NBC)の14.2〜14.5%である。

仮に、アメリカが20億ドルでまとまると「3億ドル」をめぐる攻防になる。

今夏7月に2010年冬季の開催地が、韓国ピョンチャンとなれば、時差の有利さなどから、IOCはさらに攻めてこよう。

日本は、話し合いが始まったとされる2006年ワールドカップ(ドイツ)の放送権料問題も横たわっている。不況の霧が、いっこうに晴れないだけに、交渉は時間をかけたものになりそうだ。

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静かなスタート
〜国立霞ヶ丘競技場の片隅で〜
(市川一夫/スポーツライター)

一年を通じ競技会で賑わう国立競技場だが、イベントが開かれない日は、神宮の森の中で静かな佇まいを見せ、見学や散歩に訪れる人達を穏やかに迎えている。

周囲を散策し様々な方角からよく眺めてみると、その姿は歴史を感じさせ風格すら漂う。第二次世界大戦最中の学徒出陣を記録する小さな碑も、北門脇にひっそりと建てられている。

しかし、戦前戦後を通じスポーツのメッカと言われてきたスタジアムも老朽化が進み、建替えが差し迫っている。日本のスポーツ文化を代表する施設、景観だからこそ、早急に建替えられ歴史を継承しつつ、新たな歴史のスタートを切って欲しいと望む人達が多い。

さて、先頃スタジアムの片隅で、小さな動きがあった。

スポーツクラブ利用の際、時折目に飛び込んできたのが「N.A.STADIUMオープン」という張り紙であった。しばらくすると10平方メートル余の狭い空間がスポーツ用品のショップになるという情報を聞き、程なく先日オープンしたのである。

ショップというには、また国立競技場内の店にしてはあまりにも狭く、従って商品も限られている。
興味を覚え、店内の様子をうかがいながら、スタッフに質問を切り出した。

いくつかの雑談のあと、『オーナーは誰ですか?』との問いに『私達です』と居合わせた二人が応えたのだ。

『商品やブランドが偏っていますね』等と不躾な質問に対し、『脱サラで始めたもので大手ブランドとの取引が未だ出来ない。特にトップ・ブランドは厳しくてね』と笑いながら答えてくれた。

ビジネスである以上、当然であると感じながら二人が厳しい条件のなかで、新たな挑戦を始めたことに不思議な感慨を覚えたのである。

聞くところでは、50歳前で大手一流スポーツ用品メーカーに20数年在籍し、スキービジネス全盛時代を経験したという。しかし、長引く景気低迷によるスキー用品市場の凋落は、彼らを事業縮小、リストラへと押し流してしまったのだ。

そんな彼らだが『近い将来の建替えを見据えて、この小さなショップを文字通りザ・ナショナル・スタジアムと同じようなビッグ・ネームに育て、クラブが根付くことに貢献したい』と熱く夢を語ってくれた言葉が強く印象に残った。

欧米では、ナショナル・スタジアムは文字通り、スポーツのメッカとして競技会以外にも沢山のイベントが行われ、早朝から深夜まで多くの利用者で賑わいを見せ、特にクラブはプレステージが高い会員制組織である。

独立行政法人になる国立競技場が手枷、足枷を外し、ビジネス感覚を磨き利用者の満足度を高めることにより、そのブランド=ザ・ナショナル・スタジアムの価値は高まり収益力、資産価値は大きくなることが期待でき、多角的事業が可能になる。

このショップも、開店時に見られる華やかなお祝いの花や宣伝活動も無いささやかなスタートだが、多角的事業の一つとして、大げさに言えば、スポーツビジネス上のケース・スタディとして意味を持つ試みであり、国立競技場と共に大きな将来の夢の実現に向かって進んで欲しいと心の中でエールを送りながら家路についた。

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若いライターへの期待
―第13回ミズノスポーツライター賞優秀作品を選んで―
(岡崎満義/ミズノスポーツライター賞選考委員長)

2002年度のミズノスポーツライター賞については、すでに上柿和生さんの報告があった(注1)。

私は、慎武宏「ヒディンクコリアの真実」(最優秀賞)と河崎三行「チュックダン!〜在日朝鮮蹴球団の物語」(優秀賞)について考えたことを少し述べてみたい。

サッカー本が2作受賞したのは、いかにもW杯サッカー日韓大会の年にふさわしい快挙だった。それも、2作とも朝鮮・韓国のサッカーをテーマにしているのが、とりわけ目を引いた。

慎さんはオダンラ人のヒディンク監督が、長幼の序にもキビシイ“儒教の国”韓国に、欧米の異文化を持ち込んで、衝突をくりかえしながらチームを鍛えたことを、1人ひとりの選手に丁寧に取材して描いている。

Jリーグでおなじみの洪明甫選手が「韓国人監督の場合は往々にして、主従関係になった。ヒディンクと選手は大人と大人の関係がつくれた」と語っているのが印象的だった。誰も予想できなかった「韓国4位」は、肉体的な技術以上に、人間関係の革命という、心の技術によってもたらされたのかもしれない。

これに比べれば、トルシエ・ジャパンは大人と子供の関係(一説にはトルシエの方が子供、ともいわれたが)か師弟関係、といえるだろうか。このあたりは日韓の民族性のようなものが現れているようで面白い。

河崎さんの作品は、1961年に朝鮮総連の後押しで在日の優秀な選手が集められ、結成されたチームが、1999年に消滅するまでの39年間の歴史を、これまた多くの選手の取材を丹念に積みあげて書いた秀作だ。

登場する選手たちが在日差別の中で鍛えられた、いかにも骨太の人生観の持ち主が多く、その言動がまことに魅力的だった。

たとえば、呉東根選手が息子に民族教育を受けさせたいと、朝鮮学校に進ませた。ある日息子が帰宅して「お父さんなる金日成」と叫んだ。すると呉選手は「アホかお前!お父さんはオレや」と叱った、という小さなエピソードは、ここにも「大人」がいる、と感じさせる。

もう一つ忘れがたいエピソードがある。95年にジュビロ磐田入りした金鐘成選手に、オランダから来ていたファンネブルク選手が、そんな高い技術を持っている君は、なぜもっと早くプロ入りしなかったのか、と訊いた。

金選手が口ごもっていると「together?」といい、そうか君は在日の仲間たちと一緒にプレーすることを何よりも大切にしたから、チュックダンを離れるのが遅くなったんだね、と理解してくれた。

ホロリとするようなエピソードだが、こういうさりげないエピソードの中に、スポーツは人の心を開かせる力、心と心を結びつける強い力をもつことがよく示されていて、ほんとうにうれしくなる。ユニークな日本戦後史として貴重なものだ。

朝鮮、韓国の問題は往々にして、日本人にとって“つまずきの石”となる。北朝鮮拉致問題や従軍慰安婦問題を考えてもそうだ。

私たちの世代は、戦後60年を通じて、つまずきの石を上手に取り除くことはできなかった。

在日の慎さんは31歳、河崎さんは38歳、2人の作品を読んでいると、こういう若い世代はそれぞれの活動の場で、ひょっとすると上手な付合い、スムーズな普通の関係を、日韓、朝の間に作り出してくれるかもしれない、と一筋の希望の光を見たような気がする。

■2002年度ミズノスポーツライター賞
http://www.mizuno.co.jp/zaidan/writer13.html

(注1)vol.138 (2003年3月19日発行)
「ミズノスポーツライター賞選考から見える日本スポーツジャーナリズムの今」(上柿和生/ミズノスポーツライター賞選考実務代表委員)
http://www.sportsnetwork.co.jp/adv/bn/vol138.html#02

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