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100号記念メッセージ

■vol.119 (2002年10月30日発行)

【杉山 茂】高校スポーツはテレビの優良ソフトか
【岡崎満義】豊田泰光さんの文章の力
【早瀬利之】高麗グリーンで豪州の選手が2連勝の怪


◇高校スポーツはテレビの優良ソフトか
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

「花園」(近鉄花園ラグビー場/東大阪市)を舞台に繰り広げられる全国高校ラグビー大会は、ウィンタースポーツシーズンの華のひとつだが、今年から民放によるテレビ中継枠が、大幅に縮小されてしまいそうだ。

20年近くスポンサーをつづけてきた企業グループが撤退するためで、中継ネット局の減少や、ラグビーファンやスポーツ愛好者の支持を得ていた夜のダイジェストも放送時間の短縮は避けられない。企業はいつも、テレビやラジオのスポンサー提供の見直しを行っており、その厳しい視線をそらすことができなかった、ということだ。

私は、この大会の"人気"が落ちたとは思わないが、「高校スポーツとテレビ」というアングルから覗けば、問いかけるテーマは少なくない。

春夏のベースボール、サッカー、バレーボール、駅伝、ラグビーあたりが「テレビ高校スポーツ」の主役だが、成人による円熟したトップレベルの大会に比べればテレビの求める娯楽性は乏しい。

近年は、トップ競技者のフルタイム化が進み、更に、本場・外国リーグの映像・情報もふんだんに飛びこんでくる。教育の一環、純潔な青春、ひたむきな挑戦を謳い上げるだけでソフト価値が保たれる時代ではないのである。

高校スポーツが、テレビ番組の一角を占められたのは、人々の胸中のどこかに、アンチ・プロフェッショナリズムがひそんでいたからだ。勝っては泣き、敗れては唇をかむ姿を、これこそスポーツ、と酔いしれる"スポーツ風土"が、競技レベルの限界を問題にしなかった、とも云える。

テレビ側も、巧みにふるさと性という味付けを加えて、そのムードに乗った。高校スポーツに、これほどの放送時間を割(さ)く国は、日本をおいては他にないだろう。

少年スポーツにはそれなりの良さがあると思う人たちに逆らう気はない。だが、高校スポーツが、テレビソフトとして最高級の大会を人気の上で凌ぐのは、本来あり得ないことだ。

全国高校ラグビー大会の番組スポンサーの撤退は、こうした理由からではなさそうだが、これを機会にファンも、スポーツ関係者も、テレビ界も、成人レベルのトップクラスよりも高校レベルがソフトとして受けていた背景をじっくりと見つめ直すのも悪くはなかろう―。

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◇豊田泰光さんの文章の力
(岡崎 満義/ジャーナリスト)

今に始まったわけではないが、豊田泰光さんの野球評論がすこぶる面白い。

面白いだけではなく、今、プロ、アマを問わず、日本の野球についてもっとも正論を吐き続けている人、といって良いだろう。そんな訳で「週刊ベースボール」の連載コラム「オレが許さん!」は毎週かかさず読んでいる。

豊田さんは現役の西鉄ライオンズ時代、昭和33年の日本シリーズで、巨人に3連敗後に4連勝して日本一になったころの恐怖の2番打者だった。チャンスにめっぽう強い、闘志満々の暴れん坊遊撃手、というイメージだった。

野球評論にも押しの強さ、物怖じしない直言ぶりがよく出ていて、読んでいて大変気持ちがよい。骨太の正義派であるのは確かだが、それを支えるのは、実に細やかな観察力だ。そんな風にほめていけばキリがない。

そして、何より私が好きなのは、豊田さんの文章、表現力の素晴らしさだ。

「週刊ベースボール」10月14日号は、1年生監督の原辰徳論だった。「原は省資源時代にピッタリの監督」と言い、続けて「長嶋監督は牛1頭から極上のヒレを200gといったら、あとは捨ててしまう人なら、原監督はツノもヒヅメもテールもぜ〜んぶ使い切って、何も残さん人です」と書く。シーズン前には「この牛1頭を丸々処理する能力は、オレは読めなかった」と書き、人はどんな才能、能力を持っているか分からんもんだ、と、大いに反省している。

この素直さ、アッケラカンと反省できる能力も素敵だが、牛のさばき方で長嶋・原両監督を比較してみせてくれた表現力の鮮やかさに脱帽する。

これは単純に原監督が長嶋監督より能力が上だ、と言っているように見えて、実はそれだけのことではあるまい。もっと何か、人間の深層から湧き出てくるものに基づく、生きるスタイルの違いといったものを、恐るべき透視力で感じとり、表現してみせてくれたように思える。冗漫な説明的言辞よりも、切れ味鋭い比喩の一撃で、人間の本質をグイとつかみとってみせる凄さがある。

10数年前、「豪打列伝」という本を書いた時、豊田さんも取材した時のことを思い出した。

豊田さんはいくつも面白い話をしてくれたが、その時、印象に残る対戦投手として、林義一という高齢の技巧派投手の名をあげた。

「晩年の林投手は直球もカーブも、とにかくゆるいんだ。球が来るのが待ちきれなくて、ついバットを振ってしまう。まるでヨーヨーのようなスローボールだったね。ゆるゆると打者近くまで伸びてきたボールは、やっと来た、と思ったらまた糸で投手の手元に巻き戻っていくような感じ。それくらいのスローボールだったな。」

野球に限らず、スポーツの一流技術の世界は、比喩の力の後押しがあってはじめて、素人にもその凄さの一端が感じられるように思う。豊田さんはそんな力を持った、数少ない評論家の一人である。

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◇高麗グリーンで豪州の選手が2連勝の怪
(早瀬利之/作家)

今年のブリヂストンオープンはオーストラリアのプロ、S・レイコックが−16で、日本ツアー初優勝した。

前週の日本オープンは同じくオーストラリアのD・スメイル選手が優勝し、これでオーストラリアンツアープロが日本ツアーで2連勝だ。

勝った試合のグリーンが、いずれも芝目の強い高麗グリーン。不慣れなグリーンのはずだが、オーストラリア選手2人が勝ったということは、逆の見方をすれば、日本選手は苦手意識を持ち続けて、逃げ腰だったとも受けとれる。

スメイルもレイコックも、日本ツアーでは、他の豪州プロに大きく遅れての初優勝だった。5〜6年も日本ツアーで戦っておれば、高麗グリーンのクセも見抜けて、研究もしている。

レイコックは今年のフジサンケイクラシック(川奈)ではプレーオフを戦って敗れたが、2位に入った試合も多く、勝てる位置にいた。

今回のブリヂストンオープンの袖ヶ浦CCの高麗グリーンはステンプメーターで、10フィートと高速グリーンに仕上がっており、ラインの読み辛さでは日本選手も同じ。

しかし、前週の下関CCといい、今回といい、日本選手は最終日に崩れている。これはどうしたことか、と現場で考えた。

私の眼には、「勝ってやる」という気迫が伝わってこなかった。勝負は16番で決まったようなものだったが、それまでに、どうして日本選手は追いつけなかったのか、という疑問が残る。

「この秋は疲れが出る頃」という声もあったが、レイコックは夏場はヨーロッパツアー、米ツアー、地元オーストラリアツアーと、まさしく渡り鳥なみの移動だった。

しかもレイコックのスウィングは、オーストラリアで育ったせいもあり、ボールの弾道が低く、飛距離も270ヤード平均だから、日本ツアーの中では飛ばない方になる。今回のディスタンスも48位だった。

それでも、今回はロングホールの16番で、スプーン(3番ウッド)を2回使って2オンに成功した。確実にフェアウェイをキープしながら、またショットも安全なポジションに落としながら袖ヶ浦を攻略した。

日本選手をみていると、頭から苦手意識を持ち、勝ってやろうというハングリー精神に欠如していた。

高麗グリーンを使う大会は、今年は川奈と芥屋、下関、そして、袖ヶ浦と4コースもあった。川奈では佐藤信人が優勝した。芥屋はベテランの湯原信光が10年ぶりに勝った。下関と袖ヶ浦は豪州の選手が優勝。

この4試合を見ると、ベントで育った若手プロは佐藤信人だけである。他のプロは頭から苦手意識を持ち続けている。

どんなグリーンであっても、勝つためなら研究するものだが、若手のプロの中で、谷口徹と片山晋呉以外には勝つ意識が見られなかった。

ギャラリーが最終日に1万人を越えたのだから、いい試合を見せて欲しかった。

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