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■vol.170(2003年10月29日発行)

【杉山 茂】 観客席に乏しい「スポーツを見る」責任
【早瀬利之】 尾崎直道の逆転Vと初代プロゴルフ協会長の葬儀
【松原 明】 マーリンズの王座
【岡崎満義】 ほんとうに「時間がない」のか?−朝日新聞の「スポーツ意識」世論調査を読んで−


観客席に乏しい「スポーツを見る」責任
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 奇異な光景、といえた。静岡国体秋季大会総合開会式(10月25日)。予定されたプログラムがクロージングを迎えたとはいえ、まだ、47都道府県選手団が、退場の順番を待ってフィールドに残っていた。それなのに多くの観客が帰りを急ぎはじめ、席を立ったのである。

 明日からの競技に臨む選手たちに声援と拍手を送ってこそのフィナーレ、ではないか。私は国体のセレモニイを比較的よく見ているつもりだが、このような“空しいシーン”は、ちょっと記憶にない。

 最後までの励ましと着席を望んで、毎年「式後アトラクション」が用意され、この日も、場内に充分な予告がされている。

 それでも、出口へ向かう人がつづき、選手団は、残った“僅かな観衆”に、笑顔をのぞかせ、手を振りながらゲートへ向かうことになった。

 近ごろ、スポーツの終了後のムードは、味気ないケースが多い。

 快進撃の今シーズンに限らず「六甲おろし」をうたいあげるまでが、試合とセットになっている甲子園球場のタイガース戦は異例に映るが、スポーツのエンジョイという点では、なかなかのものである。

 競技やセレモニイが終われば、さっさと次の関心事へ気持ちをスイッチする(させる)現代生活のせわしなさか。余韻を残さぬテレビ中継が、余裕のあるスポーツの見かたをスポイルさせる、という声を耳にしないでもない。

 だが、いちばんの理由は、まだまだ、日本人には「スポーツが根付いていない」ことだろう。
熱狂という点で同じに想えるワールドシリーズと日本シリーズを、テレビ画面で見比べると、前者には、心からスポーツを楽しむ姿があふれている。

 ベースボールをこよなく愛す心がまずあり、その基盤の上にマーリンズとヤンキースが立っているのだ。

 国体、ましてや、スポーツ関係者以外の顔が多い開会式との比較はムリな部分もあるが、“見るスポーツ”の責任が成熟せず、とあっては“見せるスポーツ"側の充実も勢いはつくまい。

 スポーツ発展の「総合戦略」を考えぬと、日本のスポーツは、いつまでも底の浅いまま、過すことになる―。

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尾崎直道の逆転Vと初代プロゴルフ協会長の葬儀
(早瀬利之/作家)

 今週は色々なできごとがあった。先ず、ブリヂストンオープンで、47歳の尾崎直道がプレーオフのすえ3年と7日ぶりに優勝した。しかも、逆転優勝だった。

 14アンダーで最終日を迎えた尾崎直道は、トップグループのP・シーハンや丸山大介とは3打差。3年間優勝から遠ざかり、しかもパットはイップス病にかかり「プロ引退」も考えた。

 最終日のスタートホールのティショットに、直道の心境が窺える。逆風が吹くなか、彼のみが消極的に3番ウッドで打った。2打目は4番アイアン(他のプロは7番で打つ距離)で2オンさせた。ところが、長尺パターでイップス病を克服した直道のバーディパットが入る。

 ここから波をつくり、2番も連続バーディ。 これを知ったP・シーハンの組3人はトラブルショットした。丸山と谷原秀人は左の松林。シーハンは2打を右へプッシュ。なんとこの最終組は1番ホールをホールアウトするのに2ホール分の20分。あとはドタバタ。

 そのひと組前を行く直道は前半33、後半も4バーディを決め、65。21アンダーと伸ばした。そのあとからくるシーハンは18番で長いイーグルパットを決めて同スコア。そこから死闘のプレーオフが2回。最後は、直道が2オン2パットのバーディを決めてP・シーハンを突きはなして優勝した。久しぶりの名勝負。敗れたシーハンのパットのうまさにも脱帽した。

 一方、海の向うでは、青木功が79勝目を上げた。沖縄では宮里3兄弟の父・優さん(57)が、沖縄ジュニアカデミーを設立した。

 その一方では、初代プロゴルフ協会長であり、しかも関東の初代プロであり、多くのプロたちを育てた大恩人が、永眠した。残念なことに、財団法人日本プロゴルフ協会葬ではなかった。常識的には、初代プロ協会長の葬儀は、日本プロゴルフ協会主催でやるべきである。

 関係者が長田力会長に問い合わせても、福岡在住の会長とは連絡がとれない、という状況下では困る。会長は常に日本プロゴルフ協会長席にいるべきだ。それが不可能なら、会長をやめるべきである。

 彼らの大先輩、しかも初代プロゴルフ協会を立ち上げた大恩人を、組織的に見送って上げるのが、組織人の使命と思う。戦後生まれの組織人たちは、使命と仁義にかける。

 今からでも遅くないので、日本プロゴルフ協会葬を実施させるべきである。

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マーリンズの王座
(松原 明/東京中日スポーツ報道部)

 ついに、ヤンキースを敵地で倒し、6年ぶりに大リーグの王座に着いた、フロリダ・マーリンズは、歴史を塗り替える優勝だった。

 ワールド・シリーズのシステムが「DH制度使用は、アメリカン・リーグのホームに限定する」と、固定したのは、1986年からだが、以後、アメリカン・リーグのホーム開幕した年(4試合開催)の8年は、ナショナル・リーグ・チームは一度も勝ったことはない。ホームの利はいかに大きいか、は歴史は証明している。そのデータを、マーリンズは初めてくつがえした。

 さらに、本当は、今年度は、ナ・リーグのホームスタートの順番だったのに、「オールスターの勝利リーグが、ワールドシリーズのホーム開幕権を与える」新方式に変更され、2年連続、ア・リーグのホーム・スタートになった。

 そのハンディも乗り越えた優勝の意義は大きい。マーリンズは堅く守り、接戦に持ち込み、機動力を生かして勝つ「スモールボール野球」の特色をフルに生かした。ホーム3試合で2勝1敗と勝ち越した。敵地でも2勝1敗。打ったホームランはわずか2本。

 6年前の優勝は金で集めたスター軍団が軸だったが、今回はマイナー育ちの若手が育った成果だった。4番の20歳カブレラ外野手、リー一塁手、キャステイーヨ二塁手、ゴンザレス遊撃手、MVPになった23歳のベケット投手、2勝したペニー投手、新人王候補のウイリス投手、救援ルーパー投手。これら若手にトレード補強の成功で作り上げたチームなのだ。

 ジヤイアンツ、ブレーブスの100勝独走チームが終盤、緊張感が消えたのと対照的に、9月の猛烈スパートの勢いをそのまま続けた。

 72歳の老監督、マッキーンは「野球はチーム一丸だ。個人エゴは捨てろ」と言い続けてまとめた指導力は素晴らしい。この、歴史を変えた成果は長く伝えられるだろう。

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ほんとうに「時間がない」のか?
―朝日新聞の「スポーツ意識」世論調査を読んで―
(岡崎満義/ジャーナリスト)

 10月7日付朝日新聞に「スポーツ意識」世論調査の結果が発表されていた。するスポーツ、見るスポーツについて多岐にわたる質問がなされ、それぞれ面白い数字が出ていた。

 中でもっとも気になって、しばらく考え込んだのは「いま何かスポーツをしていますか」という質問に対して、「している」人が28%、「していない」が72%―そして「していない」理由のトップが「時間がない」の37%、つづいて「やりたくない」12%、「施設がない」3%、「お金がない」3%となっている点だった。

 スポーツが嫌いだったり、施設やお金がないからしない人のパーセントは分かるのだが、「時間がない」が37%もあるのには驚いた。

 バブルが崩壊して、リストラ、不景気でお金が足りないことはあっても、みんな時間だけは昔にくらべれば余裕ができたのではないか、と思っていたので、時間が足りなくてスポーツができない人が37%もあって、できない理由のダントツ1位であることに驚いたのである。

 考えてみると、私たちは人に会ったとき、気候の挨拶と同じくらい、「お忙しいですか」と問いかける。「まあ、ぼつぼつです」「貧乏ヒマなしです」などとさらりと受け答えして、お互いに変わりないことを確認して安心するのがふつうだ。

 どうやら私たちは、深層心理のなかに、忙しいことはプラスの状況であると考えているフシがあるようだ。かつて、日本人は働きバチだ、とよく言われた。しかし、その働き方は労働時間を目一杯というものではなく、ダラダラと時間つぶしのようなものだ、労働の質は低い、と批判されることもしばしばあった。それでも当人は、精一杯働いている、ひたむきに働いている、という充実感を覚えている。長時間、ひたむきに働く、というのは、日本人の長年にわたる、現実的な、あるいは理想的なライフスタイルだったのだ。

 つまり「時間がない」のはプラスの価値で「時間がある」のはむしろ、歓迎されざる事態なのである。定年後の男性がしばしば“粗大ゴミ”や“濡れ落葉”になってしまうのは、「時間がある」ことにマイナスの価値しか見出せないからである。主観的に「時間がない」ほどにひたむきに働いてきた日本人は、無意識のうちに「時間がある」ことへの恐怖心を抱いているように思えてならない。

 スポーツとは、ゆったりとしてある時間の中で、ただのびのびと遊ぶことであろう。ない時間をやりくりして、健康のためにスポーツをする人は少しずつでも増えているようだが、ただただ楽しく遊ぶというスポーツは、増えているとは思えない。

 JOCアスリート委員の荻原健司さんは、「スポーツ休暇法」がほしい、と言っているが、スポーツを楽しむ人を増やすのは、容易なことではない。日本人のDNAと化したと思われる「時間がない」ことのプラス価値と、「時間がある」ことのマイナス価値を逆転させなければならないからだ。10年、いや50年はかかるかな?

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