今年は戦後の剣道復活から50年目に当る。50年前の日光大会では、神奈川県警の鬼才、中村太郎が初優勝した。その後、京都でも剣道大会が行われ、ようやく復活した。 戦後の剣道復活に動いた人物には、戦前から剣道を指導していた斉村五郎や持田盛二らがいる。選手としては中村太郎、皇宮警察から鹿児島へ戻っていた中倉清もいた。 剣道大会は、オープン戦に変わり、戦前の天覧試合のように、一般の部、教士の部(プロ)の2部制はなくなった。オープン戦化されて、スポーツ剣道となり、剣道が持つ「心・技・体」の理念が薄れた。 竹刀、道具は変わらないが「真剣味」が無くなり、「早当て竹刀競技」になった。そのため、縦一本のワザが多く、左右の動きを取り入れたワザが姿を消した。 特に、小柄な選手は縦一本のワザでは不利で、疲労も大きい。東京警視庁の原田選手に欠けていたのは、背の高い相手に対する研究不足であった。 コテ・メンの同じワザしか出していない。相手を起こして左右のワザを入れていたら勝っていた。 「イヤ、オレにはオレのワザがある」というなら、それでも良い。「快い負け」も、また剣の道である。だが、負けて何の意味があるか、である。 かつて、中倉清9段範士は、戦う前には相手を研究してワザを練った。上段、中段、引き胴、引き小手、片手突きと、連続ワザを出した。1の太刀、2の太刀とワザが決まるまで打ち込んだ。 生前の中倉清は「最近の剣道は体さばきが悪い」とも指摘していた。横の動きがないため、単純なワザしか出せないとも言われた。 初優勝した安藤戒牛選手には、中倉清指摘のワザが生かされていた。正中線からの突き、近間からのワザも時間の関係上、延長に入ると「物打ち」を外れても一本にするなど、見る側には不満な面はあったが、あれほど延長が多いと、やむを得ない点はあった。真剣戦なら、皮膚一枚切った程度のワザだが、それだけ、ワザに変化がない証拠である。 その意味では、8段戦は見ごたえがあった。大成功と言って良い。 私は2年前から、「8段戦をやるべし、本当の剣道は8段戦にある」と日本剣道連盟にも提案してきた。50周年目の今年、それが実現されて嬉しかった。小林英雄、末野栄二、蒔田実、山田博徳選手などのワザは、はっきりしていて、真剣の味が出ていた。気持ちよかった。 これからも、この8段戦を続けてほしいと思う。願わくば、一般の部には、過去5年までの優勝者にシード権を与えてほしいと考える。 そして、できれば、この大会は、各県から一人制に戻し、その他に、「女子の日本一」もやってはどうだろうかと思う。 企画面では、変化がほしい。日本選手権は男女別、5年シード権付、8段の部の設置など、イベント性を前向きに考えられることを願う。 |