スキージャンプのW杯が11月29日に始まった。 ここ数年の雪不足に懲りた国際スキー連盟は、今年は北緯66度、ほぼ北極圏にあるフィンランドのスキーリゾート、クーサモでノルディック3種目を同時開催した。ところが、今度は寒波の直撃を受け、−25℃を下回る苛酷な条件下の大会となった。クロスカントリーは肺への影響を考慮して、−20℃以下は中止となる。−18℃という怪しげな発表とともに強行された試合では、超低温でスキーが滑らず、顔や手が凍傷になる選手が続出した。 ジャンプは、長野五輪シーズンの総合チャンピオン、スロベニアのペテルカが4年ぶりに勝利をあげる波乱の開幕戦となった。ペテルカの復活もさることながら、今、ジャンプの世界で話題をさらっている人物がいる。今年5月にノルウェーのヘッドコーチに就任したミカ・コヨンコスキだ。 ジャンプの祖国ノルウェーは、94年のリレハンメル五輪で金銀計3個のメダルを手にした後、競技力が急低下し、ついにソルトレーク五輪では、国際レベルの選手が4人しかいない韓国にまで抜かれて、団体戦で9位と惨敗した。日本の「低迷」とはまたレベルの違う、どん底だった。 昨季、ノルウェー選手のW杯ランキングは最高でも35位。W杯では2本目に一人も進めない試合が続いた。しかし、夏の試合から様相が変わった。 そして、開幕戦では、まったくの無名選手、ジークルード・ペテルセンが0.1ポイントで表彰台を逃す4位に入った。そして地元トロンヘイムで行われた第3戦では僅差の2位、そして第4戦ではついに優勝。ほぼ5年ぶりにノルウェーに勝利をもたらした。4戦を終えた時点で、なんとランキングはトップ。そればかりか、第4戦は、地元とはいえ、15位以内に5人ものノルウェー選手が入った。 関係者は皆、今季のノルウェーの躍進は予期していた。「優勝請負人」「ミラクルワーカー」ミカ・コヨンコスキがノルウェーに乗り込んだからだ。しかし、ここまでの劇的な変化は予想を超えていた。 フィンランド人のコヨンコスキは40歳。現役時代には国際舞台での活躍は皆無といっていい。しかし、長野五輪前にスキー大国オーストリアのヘッドコーチになった頃から、コーチとして名声を馳せるようになる。ジャンプ選手は体重が軽くなくては、と食事制限を積極的に始めたのも彼だった。 オーストリアで成功を収め、99年春に母国フィンランドのヘッドコーチに就任。アホネン以外は2本目に進むのもやっとだったフィンランドが、99年11月の開幕戦では地元の利を生かして18歳のハウタマキが3位、第2戦では無名のカンテが優勝。第3戦では10位以内に4人も入るという大躍進を見せた。 フィンランドは常に複数が表彰台争いにからみ、圧倒的な差で国別優勝を果たす強豪に返り咲いた。そしてこの春、ますます名をあげたコヨンコスキは、オーストリアとノルウェーから熱烈なラブコールを送られた末、「より大きなチャレンジを求めて」ノルウェー・ヘッドコーチ職を選んだ。 開幕前の練習日、ノルウェーに行ってみて、何が問題だと思ったかを尋ねると、いつもの彼らしく率直で明瞭な答えが返ってきた。問題点は3つ。フィジカルトレーニングの質、踏み切り技術の欠陥、用具(特にスキー)の選択ミス。自分のテクニックを生かすマテリアルの選び方をわかっていないことには、愕然としたそうだ。 ただ、3年間も世界から置いていかれていた選手たちなのに、非常に意欲的なのにも驚いたという。能力はあった、ただその生かし方がうまくなかっただけで、私は何も「矯正」した訳ではない。少しばかり交通整理をしただけだと言う。 去年、日本チームは筋力トレーニングを重視した。ポーランドのマリシュに追いつくには筋力アップが不可欠、世界の流れも筋トレだと判断した。去年の11月、フィンランドも同じかと尋ねた時には、半ば呆れ顔で言われたものだ。「アスリートなのだから、筋力トレーニングは当たり前。そんなのは土台の土台だ」 コヨンコスキは、踏み切りのテクニックの数値分析に熱心なことでも知られる。フィンランドでは、研究者たちと共同で踏み切り時の筋肉部位の使われ方や、何がどうなった時が一番効率の良い踏み切りになるのかの分析を続けた。 ノルウェーは日本同様、去年は筋力トレーニング中心の合宿を繰り返した。コヨンコスキはこれを、彼の信じる踏み切り技術に必要なものだけ重点的に鍛えるよう変更した。量を減らして質を高めたという。 そして、「複雑すぎて今ここで説明なんかできないよ」と笑いながらも、一言で言うならば、ノルウェーのジャンプは「点」で踏み切る傾向があったが、これを長い動きをするように変えているのだとも語った。ただ、これは新しい考え方でも何でもなく、もちろん、日本でも同じことを指導している。 しかし、コヨンコスキの場合は、客観的データに基づいて「理想のジャンプ」を示し、そこへ最も早く到達するための筋肉を作る無駄のないトレーニングをさせ、同時に徹底的に動きを覚えさせる。論理的に説明され、数字で示されるので、選手はついて行きやすかったのだろう。 また、ノルディック大国ノルウェーの複雑なシステムを単純化する改革も行った。広い国土に散らばっていたジャンプの拠点を、オスロとトロンヘイムの二つに整理。全国から選手を集めてナショナルチーム選抜合宿をし、選ばれた選手はどちらかに住まわせる。コヨンコスキの考え方を完全に理解しているアシスタントコーチを2人選び、2つの拠点で選手たちを指導する。 ナショナルチーム合宿は毎月第2週と決め、それ以外は拠点でアシスタントとトレーニング。ただし、常に同じ指導が受けられることは、徹底した。 それというのも、コヨンコスキ自身は、フィンランドのクオピオに今でも住んでいるからだ。彼はクオピオの市議会議員でもある。 ノルウェーは情報過多で、他国の動向を気にかけて右往左往していた。だから選手が戸惑っていただけ。今季は10位以内に1人、20位以内に2人を目標にしている。 あまり早く結果が出すぎると、その後の落ち込みが怖いんだ、と言いながらも、「ジークルード・ペテルセンがとても良い。いろいろと変えたからまだ不安定だけれど、確率が上がってきたし、大ジャンプが出るよ」と穏やかな笑みを浮かべて、コヨンコスキは−25℃のジャンプ台に向かった。 第4戦であれよあれよという間に優勝してしまったペテルセンは、テレビインタビューで「何もかも、コヨンコスキ・コーチのおかげ。僕はただ言われるとおりにしてきただけ」と夢見心地で語った。 冷静な判断力、旺盛な研究欲、強力なリーダーシップ、そして、的確な言葉で伝えられるコミュニケーション能力。優秀な指導者に共通する資質をコヨンコスキは持ち合わせている。 さらに、もともと無理な心理状況での極度の集中力を必要とし、一瞬で終わってしまうために「感覚」に属する部分も大きい競技だけに、「君の踏み切りは○○が理想の○%しかできていないから、飛距離が出ない。このトレーニングを何セットすれば必ず良くなる」と具体的に示して選手に安心感を与えた。 これがミカ・コヨンコスキの成功の秘訣だろう。 |