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vol.183(2004年1月14日発行)
【杉山 茂】有料独占放送の枠はずさせる“パワー”
【大島裕史】韓国スポーツ界のドン・金雲龍の落日
【早瀬利之】「法政9番」の頭が大きく見えた。ラグビーは「陸軍の戦」と見ると面白い
【市川一夫】アテネ五輪に向けて〜JOCの姿勢を問う〜
【佐藤次郎】挑戦者は勇敢だった
vol.182 2004年新年号「2004年スポーツ展望」
vol.181 2003年最終号「2003年スポーツ回顧特集」
vol.180 「再びあのティーグラウンドへ」ほか
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有料独占放送の枠はずさせる“パワー”
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)
 

 スポーツが占める位置の高さ、とでもいおうか、海外におけるスポーツへの認識、スポーツへの評価は、さまざまな形で、目や耳に伝わってくる。

 90年代に入ってから、特にヨーロッパでの有料テレビ放送とスポーツソフトの“関係”もその1つだ。

 各国の衛星放送は、サッカー、テニス、自動車レースなどに巨額の放送権料を支払い、それを契約料にはね返し、ビジネスとしてきた。

 テレビ局とスポーツ側(主催者やクラブ)が互いにハッピーな顔を見合せば見合すほど、ファンの表情は苦々しいものとなる。

 「大好きなスポーツをテレビで観るのに金がいる時代が来るとは思わなかったよ」―オールドファンの嘆きを、活字メディアはしきりと伝えたものだ。

 スポーツファンの利益をどう守るか。ヨーロッパ委員会(EC)がこの問題に乗り出したのは、新しいことではない。ECが発足して、かなり早い段階だ。とりわけ“くらしの一部”といってさえよいサッカー中継の放送権独占には、積極的な取り組みが行われてきた。

 国際サッカー連盟(FIFA)が、96年にワールドカップの02年(日韓大会)と06年(ドイツ大会)の世界放送権をエージェントの手に渡した時、自国の出場する試合と準決勝、決勝などは、誰もが無条件で楽しめなければならないと規定したのは、ECの動きと無関係ではない。

 昨年暮れ、こうした動きを、いっそう促すかのようにこれまで有料契約テレビ(=B・スカイ・B)に独占されているイングランドのプレミアリーグの中継放送が2007〜08シーズンから、複数のテレビ局で行われることが確定的となった。ECの働きかけが実ったものである。B・スカイ・Bは04〜05シーズンも独占権を持つ試合のごく一部を他局に渡し無料放送することを前向きに検討中、という。フランスなどの各国のサッカー中継に影響を与えるの明らかだ。

 ECがここまで動くのは、ヨーロッパにおける“スポーツ度”の羨ましいほどの高さ以外の何ものでもない。

 日本でも「スポーツはみんなのもの」と叫ばれて久しいが、これほどの“公共的な判断”まで呼び起こさせてのレベルに支えられているとはとうてい言えない―。

韓国スポーツ界のドン・金雲龍の落日
(大島 裕史/ジャーナリスト)
 不正選挙に憤った学生たちのデモにより、ハワイへの亡命を余儀なくされた李承晩。民主化運動が盛り上がる中、側近に射殺された朴正煕。退任後、山寺にこもり、監獄生活も経験した全斗煥。韓国の権力者は、在任中の悪評はともかく、その末路には、常に「盛者必衰」の悲哀がある。韓国のスポーツ界に、30年以上にわたり君臨した金雲龍もまた、その轍から逃れられないようだ。
 
 金雲龍が韓国スポーツの実力者として登場したのは、1971年、当時バラバラであったテコンドー界を統一して、大韓テコンドー連盟会長に就任してから。以後、国技(テコンドー)院長、世界テコンドー連盟総裁、さらに86年にIOC委員、93年には大韓体育会長とKOC(韓国オリンピック委員会)委員長を兼任するに至り、ドンとしての地位を不動のものとした。
 
 その一方で、家族に関するものも含め、「黒い噂」は、数多くあった。ただし韓国では、そうした問題が表に出ることはほとんどなかった。ソルトレーク冬季オリンピック招致疑惑の中心人物として、海外のメディアが金雲龍に集中砲火を浴びせた時も、韓国の大半のメディアは沈黙していた。のみならず、2000年4月には、当時の与党・新千年民主党員として、国会議員に就任している。
 
 金雲龍に批判的な大韓体育会の元幹部は、「IOCのトップになれる人間は、彼くらいしかいない、と言って、不正に目をつぶっているのだから、情けない」と、嘆いていた。けれども言い換えれば、世界で通用する人物であるからこそ、「黒い噂」があっても、今までの地位を保てたのであった。したがって、2001年にIOC委員長の選挙に敗れた瞬間から、金雲龍の落日は始まっていた。
 
 2002年には、大韓体育会長とKOC委員長の職を退くことになる。そうした中でも、昨年はIOC副委員長に就任している。金にすれば、IOC内部に影響力があることを誇示したかったのかもしれない。しかしその行為が、韓国が立候補していた冬季オリンピック招致を妨害したととられ、さらに窮地に落ち込まれることになる。
 
 一度傾いた日は、落ちだすと流れは速い。昨年末から年始にかけて、公金横領や収賄の容疑が相次いで明るみになり、9日には、国会議員、国技院長、世界テコンドー連盟総裁といった公職を辞任することを表明した。目頭をハンカチで押え会見に臨んだ金雲龍には、かつて反対派のIOC委員に、テコンドーのポーズで脅したと言われる、強面のイメージは、完全になくなっていた。
 
 金雲龍が、韓国スポーツ界に登場した時代は、北朝鮮との厳しい対立、韓国の国際的地位向上の必要性から、スポーツが政治に利用され、利用される中で、競技力が向上した時代であった。しかし、南北の緊張が緩和し、韓国スポーツの国際的地位が向上すると、スポーツそのものが政治になっていった。ドンなき今、韓国はスポーツのあり方が、根本から問い直されている。
「法政9番」の頭が大きく見えた
ラグビーは「陸軍の戦」と見ると面白い
(早瀬 利之/作家)
 ラグビーのシーズンがきた。

 ラグビーは高校時代「草ラグビー」をやった関係で観るスポーツとしてはゴルフ、剣道、マラソンにつぐジャンルである。1月10日の大学ラグビーも、その前の高校ラグビーもテレビ観戦した。

 3試合の中で一番印象が強かった試合は、法政大学対関東学院大学の試合だった。前半の33対7で勝負はついていたが、後半の法政大学の追い上げは、ラグビーの面白さを充分に発揮していた。

 なかでも法政「背番号9番」の穂坂選手(新聞はフルネームを書かないので困る)の後半31分からの2トライは、涙が出るほど感動した。150センチの小柄な穂坂選手の頭がひとまわり大きく見えた。状況判断、俊敏な反応はチームが生きるか死ぬかを決定する。穂坂選手は、みごとにバックにパスしてボールを生かした。残念ながら体力に劣る法政大学は苦戦するが、しかし小柄故に猛進する穂坂選手のトライは、「人生」を教わった。

 私は高校時代、首筋を痛めたり、右頬の皮をむいたりと怪我したが、大学生の試合は、それではすまない大怪我の続出だった。

 小さい選手はそれだけにハンディがあり、怪我の確率は高いわけで、戦うには気力しかない。穂坂選手の2トライは、それを教えてくれた。

 ラグビーは戦争に例えるなら「陸軍歩兵小隊」である。敵軍とのチーム戦であるが、戦争と違って隊長がいないだけである。したがって、ゲームとして見ると面白くないが、敵軍との前線戦闘としてみると楽しい。そこには英雄も、とりわけ射撃の上手い「選手」はいない。

 ただし、戦の勝負は、身を捨ててかかる勇敢な選手の存在いかんにかかる。法政は敗れたが、穂坂選手は、まさしく勇敢な兵士だった。
アテネ五輪に向けて
〜JOCの姿勢を問う〜
(市川 一夫/スポーツライター)
 いよいよアテネ五輪の年を迎えた。

 晴れて代表の座を獲得する為に、緻密な目標を立て4年間を消化していく選手、コーチは高まる騒ぎをよそにひたすら調整に明け暮れる。
一日たりとも疎かに出来ないのである。

 各競技の代表選考レースも熱を帯び報道はここぞとばかりヒート・アップする。
夏冬それぞれ4年毎に巡り来る大会なのに何故これほどまでに報道が過熱し、大騒ぎするのだろうか?
過熱する取材合戦、報道は選手やコーチ、関係者にはむしろ迷惑な面もあるようだ。

 よく考えれば当然のことであるが選手は自分のペース、計画を冷静に着実に実行することが第一であろう。その先に代表の座が待っており、メダルへの道が開かれる。
目標達成の為には取材・報道に余計な神経を使いたくないのが本音だ。

 さて、新年早々、JOC専務理事談として不思議な報道がされた。
『出場権を獲得した野球の長嶋茂雄全日本監督(JOCエグゼクティブ・アドバイザー)が開会式の際、団の先頭、然るべき場所で入場行進することを歓迎したい、本人も前向きに考えてくれているので是非とも実現したい。』

 勿論JOCスポンサーである読売の報道である。

 そして同紙1月1日朝刊五輪特集ページで井上康生選手(柔道)との対談では『機会があれば行進したい』自身がと述べている。

 国民的ヒーローでもある長島全日本監督が行進することに異議を唱えるつもりは無い。
国民の共感を呼び五輪への関心を高める為には意義深い計画であろう。

 しかし穿った見方という批判を恐れず敢えて述べる。
読売は一貫してプロ野球選手の五輪参加を強く否定し、特に巨人の選手は出さないとトップ自ら公言し話題を提供していたではないか?

 しかし、その後急にトーン・ダウンしたと思ったら読売新聞は何とオリンピック・キャンペーンのスポンサーとして名乗りを上げJOCのスポンサー活動に熱心だ。
更に野球では巨人の選手が中心の選手編成になるであろうことも十分考えられるのだ。
其処へ来て今度は長嶋監督の入場行進だ。
この一連の動き、流れを読者は何と解釈するであろうか?

 日本を代表するいや世界の言論,報道のリーダーを自認するクオリティ・ペーパーが自社の利益のためにシナリオを書き上げ着々と布石を打つという見方が成り立つ。

 今年一年、これらの豊富な材料を使いあらゆる報道、広報展開が予想される。
他紙を圧倒する目論見が見え見えだ。

 公正で客観的報道を標榜する大新聞がスポーツ紙,夕刊紙と同じように読者を煽るような見出しや記事で勝負するようなことはよもや無いと思うが読者はどのように思われるだろうか?

 五輪は商業主義の弊害があらゆる所に露呈し、もはや理念、精神は空文化しているのが実情だ。
 何度も述べているが主役は選手という原点を改めて認識し選手の活躍を支援するのがスポンサーであることを強く訴えたい。

挑戦者は勇敢だった
(佐藤 次郎/スポーツライター)
 強敵と、それも並々ならぬ強さを持った相手と戦うには、とにかく勇敢であらねばならない。しごく当たり前のことだが、実際に試合の場に出ると、これが簡単にはいかない。本当に勇気を奮い起こした者だけが、高い壁を乗り越えることができる。
 
 1月10日、東京・後楽園ホールで行われたボクシングの世界タイトル戦では、そんな勇敢さが強豪の厚い壁を打ち破るシーンを見ることができた。タイから日本のジムにやってきたイーグル赤倉が、メキシコのホセ・アントニオ・アギーレを破ってWBC世界ミニマム級王座についた一戦である。
 
 本名デン・ジュラパン。3年前に来日し、角海老宝石ジムからリングに上がってきた25歳。タイと日本で計11戦全勝のプロ戦績を持ち、世界3位にランクされていたが、今回の挑戦の前評判はさほど芳しいものではなかった。なにしろチャンピオンが7回連続防衛中の強豪だったからだ。最近はやや調子を落としていたものの、かつては2人の日本選手の挑戦も一蹴してきたアギーレは、スピードもパワーも兼ね備えた隙のない大王者だったのである。
 
 しかし、イーグルは一瞬もひるまなかった。それどころか、1ラウンドの序盤から速い踏み込みで激しく攻めた。見るからに重そうなチャンピオンのパンチを平然とかいくぐって、相手のふところに攻め込む俊敏な動きは最初から最後までまったく変わらなかった。何回も猛烈に大きなフックで空振りを重ねたが、それもまた相手の圧力に気圧されることのない勇気の証明だったように思う。
 
 12ラウンドを戦った結果は、3−0の文句なしの判定勝ちだった。イーグルにフルマークをつけたジャッジもいたが、それもちっともおかしくはなかった。わずかなチャンスを求めて、あえて母国から異国へと渡った勇敢さ、そして正念場のリングでも強敵相手にいかんなく発揮された勇気こそが、この若者に勝利をもたらしたのだった。
 
 もちろん、基本には十分に練り上げられた技術がなければならない。テクニックもなしに無謀に攻めていくのではスポーツとはいえないし、真の勇気ともいえない。イーグルには素晴らしくバランスのとれたスピードと技があり、だからこそ、その勇気も生きた。

 ただ、ボクシングに限らず、さまざまな競技でしばしば見かけるのは、それなりの技と力を持ちながら、相手の強さを意識するあまり、思い切りの悪い腰の引けた戦いぶりでずるずると敗れていくケースである。いくら力やテクニックがあっても、それを発揮するには仕上げの勇気が欠かせないというわけだ。

 言い換えれば、自分が培ってきた力を信じて、思い切って一歩前に踏み出す勇気さえあれば、たとえどんな強敵相手でも番狂わせは可能なのだということだろう。
 
 「試合前には、難しい戦いになると思っていた」とイーグルは語った。挑戦者は王者の強さを誰よりもわかっていたに違いない。が、一歩また一歩と前へ踏み込む勇気で、彼は王者とのキャリアの差を埋めてみせたのである。


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