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100号記念メッセージ

■vol.127 (2002年12月25日発行)

【杉山 茂】曇ったままで終った2002年スポーツ界天気図
【早瀬利之】田中秀道、来年は悲願の1勝に賭ける
【大島裕史】ワールドカップと韓国大統領選挙
【中村敏雄】デッドボール考
【今城力夫】何がスポーツマンシップなのか
【岡崎満義】スポーツの塩、スポーツの蜜


◇曇ったままで終った2002年スポーツ界天気図
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

今年も、日本のスポーツ界の天気図は「曇り」で終ってしまった。

ソルトレーク冬季オリンピック、ワールドカップ、女子フィギュアスケーターによる超難技のトライと成功…。少しの晴れ間はのぞいたが、結局、どんよりのままなのである。

気になるのは、年々、国内スポーツ界をめぐる熱気が冷(さ)めていくことだ。

サッカー界が、優れたマネジメント感覚で、迫力に富んだ事業を次々と展開しているのを横目に、多くのスポーツ界が、相変わらず愛好者・競技者人口の低下や企業スポーツ活動縮小に有効な手を打てない。その間に、国際競技力が落ち、一方で、テレビを通じて、海外の高品質なスポーツ情報が流れ込む。

テレビ界も、実は、スーパーイベントの人気にこだわりながらも、放送権料の高騰に、頭を抱えている。国内イベントでさえ、放送権料の据え置きや減額が打診され始めているのだ。

アテネ・オリンピック前年の来年に、こうした低迷を活況へ転じさせることができるだろうか。

スポーツ団体が、旧態の運営を続けていては、あまり期待はできない。釜山アジア大会の不振は、まさに、この一点が露呈したもので、日本オリンピック委員会(JOC)が、後から検証とやらを深めたところで、たくましい転換への希望は薄い。

日本のスポーツ界は、これまでもあまり危機感を抱かずに過ごしてきた。同好の輪の中で、なんとか、その場をくぐり抜けられたからだ。

現代はそうはいかない。

社会との接点を探り、多くの人々の支持を得るための"経営戦略"が不可欠である。この課題が問われるようになって、少なくとも10年は経つ。

日本のスポーツを、どのような方向に進めるか。各スポーツ団体はその姿勢を明確にすべきなのに、時間が経つばかりである。

スポーツ天気図に雨雲の気配を張り出させてはならない―。

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◇田中秀道、来年は悲願の1勝に賭ける
(早瀬利之/作家)

田中秀道と久しぶりに会った。

世界一小柄なプロゴルファー田中秀道(31歳)は、今年優勝のチャンスを逃した。魚は小さかったが、「手ごたえのある一戦だった」と、ディズニー戦を語っている。敗れて知る口惜しさだが、スポーツの世界は「敗北から学び、己を鍛えて再挑戦する」喜びと希望がある。

このオフの間、彼は新しいクラブ(テーラーメイド)に切り替えて、来年の米ツアー1勝に、早くも取り組んでいる。ちょうど戦いに挑む、宮本武蔵の心境であろう。新しい道具で、「ミスしたあの一打」を克服し、自らの手で、ツアー挑戦2年目で、夢を勝ちとりたい、とも語っている。

私はこれまで過去2年間、「秀道を追え」のテーマのもとに、ツアーレポートを連載してきた。「ゴルフトゥデイ」というゴルフ誌だが、編集長が替わり、この連載を中止にしてきた。「なるほど、この世の中には好き嫌いのある編集長も居るものだな」と、立場を変えて、考えた。

しかし、編集者と田中秀道ファンは別個のもので、編集者は個人的感情を捨て、ファンに発信するという立場も欠かせないものであると、かつての編集者でもある私などは考える。

田中秀道は丸山茂樹らと違い、自分の考えで行動し、カリキュラムを組み、アメリカツアーを戦ってきた。既にキーステーションをカールスバットに置いた。そこに家を買い、そこからアメリカツアーに向かう。戦う軍資金も武器も、参謀本部も整っている。

こうなると、自ずと戦いは真剣になる。その意味では、来年の田中秀道の戦い方はスッテプアップする。もっとも、ケガをすると、3ヶ月間はダメになるだけに、ケガのシグナルを早くキャッチして、事が大きくなる前に治療することが急務になる。多分、それでも、彼は戦い、1勝を上げるだろう。

例年、年の暮れは神戸に出かけ、師匠の石井哲雄プロ(75歳)に報告している。今年も来年のアメリカツアーを師匠と語らい、終電の新幹線で名古屋に帰るのだろう。

彼の来年の第一戦はハワイでのソニ―オープンからである。

来年も、彼のことをレポートし続けたいと考えている。

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◇ワールドカップと韓国大統領選挙
(大島裕史/スポーツジャーナリスト)

ベスト4に沸いたワールドカップ、北朝鮮が参加したアジア大会、そして、つい最近の大統領選挙。2002年の韓国は、歴史的な出来事が多かった。

それにしても、ワールドカップの興奮から早くも半年が過ぎた。韓国の快進撃が続く中、あの時、韓国人は、かつてない一体感に浸っていた。しかし、その一方で、若者たちの間では、古い価値観に対する反発が高まっていたのも事実だ。

ワールドカップ招致が本格化した1994年から、大会が行われた2002年に至る8年間は、民主化、国際化、情報化が急速に進み、韓国社会が大きく変貌していった時代である。

ただ、その一方で、地縁、血縁、学閥などのコネが物をいう体質、年功序列といった古いしきたりやしがらみは、依然として残っていた。スポーツにおいても、その傾向は顕著であった。

そこに韓国サッカーの救世主として、オランダからフース・ヒディンク監督が現れた。外国人である彼は、コネや年功序列というしがらみに一切とらわれず、実力本位でチームを作り、大成功を収めた。決勝トーナメントに進めば御の字であった韓国の人たちにとって、ベスト4はインパクトが強すぎた。韓国人、特に古い体質に不満を持つ20代、30代の若者たちが実感したのは、「自分たちもやればできる」という自信とともに、「変わらなければならない」という強い欲求であった。

今回の大統領選挙で、当選した盧武鉉を支持したのも、こうした20、30代の若者たちであった。行政経験豊富な野党・ハンナラ党の李会昌候補に対し、与党・民主党の盧候補は、行政経験が少なく、その実力には不安もある。けれども、貧農の出身で、商業高校卒業ながら、独学で司法試験に合格した苦労人の盧に、若者たちは、変化の期待をかけた。

本来であれば、こうした変化の期待を担うのは、韓国サッカー協会会長である鄭夢準のはずであった。実際、ワールドカップ招致の功労者で、ヒディンク監督を招請した彼を支持する若者は多く、ワールドカップ後は、支持率が大統領候補者のトップに達することもあった。

ところが、大統領選挙立候補が具体化すると、鄭の大統領としての資質に疑問が投げかけられるようになり、支持率は次第に落ちていった。それでも、李会昌を破るため、盧武鉉と手を組み、立候補を断念した段階では、身の処し方が潔いとして、支持する声も多かった。

しかしながら、選挙投票日前日の夜に、盧武鉉の支持を突然撤回したことにより、鄭夢準は非難の集中砲火を浴びることになる。インターネット上では、「今まで鄭夢準を支持していた自分が恥ずかしい」など、怒りの書き込みをする若者も数多くいた。

若者たちが支持していたのは、鄭夢準本人よりも、ワールドカップを通じて高まった、変化への期待感であった。

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◇デッドボール考
(中村敏雄/元広島大学教授)

「ベースボールと野球は違う」とよく言われる。

これが、「ベースボールの方が野球よりレベルが高い」ということを言うための枕詞で、古くはR.ホワイティング氏から、近くは大橋巨泉氏までの評論家がよく使う常套句というのは誰でもよく知っている。

しかし、今、わが国の野球愛好家たちは、これを真剣に検討しなければならない時代に足を踏み入れているのではないだろうか。

例えば、ベースボールでは、デッドボールにはデッドボールによる報復があるとか、デッドボールを投げられたバッターはピッチャーに殴りかかっても良いとか、それが乱闘に発展するのもベースボールであるとか言われ、デッドボール以外にも、「アンリトン・ルール(unwritten rule=明文化されないルール)」というのがいろいろあって、例えば、大量リードの試合で盗塁すると報復死球が待っているなどと言われる。

今年の6月、ヤクルト対ヨミウリの試合で、7点リードしていたヤクルトの藤井投手が、内野ゴロで一塁へ全力疾走し、ヨミウリのプレイヤーに野次られて涙を流した。

これは、野次った方も、泣いた方も、ベースボールの「アンリトン・ルール」に従ったということで、野球はこのようなことまでベースボールを手本にしなければならないのかという問題や、これをリトル・リーグから高校球児までの全てに教えるのかという問題がある。

もちろん、「その必要はない」と言うのなら、それはなぜか、「プロ野球の選手になれば、野次ったり、泣いたり、乱闘したりしなければならない」と言うのなら、それはなぜか、などの説明が必要である。

風土や歴史、それを愛好した民族や階級等の特徴が色濃く刻印されており、文化の国際交流とは互いにそれを尊重しあって鑑賞したり、習得したりする。

しかし、その過程で、それを受容、享受しようとする人々の感性や社会の制度などと不適合が生じると習性や変更が求められる。柔道着のカラー化はその典型例であるが、しかし、このような要望が常に合理的であるとは言えず、ベースボールと野球とでは、明らかにベースボールの側にヘゲモニー(覇権)があり、野球愛好家はそれをよく知っているはずである。

例えば、野球愛好家は、デッドボールを投げた相手投手を本当に殴りたいと思うのだろうか。もし、そうだとしたら、それをこれまでどのように押し殺してきたのか。そして、それがフェアプレー・スピリッツの尊重という視点から見て正しいと思っているのであれば、それをベースボールに求めるべきであるし、そうでなければ、リトル・リーグから、相手投手に殴りかかっていくように指導すべきである。

この論法がいささか法技術主義的であるというのは分かっている。しかし、それでも野球はどこまでもベースボールに従属的でなければならないのかということを考えると、たとえ単純すぎる論法と言われようとも、明治期の不平等条約のような関係は解消すべきではないだろうか。

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◇何がスポーツマンシップなのか
(今城力夫/フォトジャーナリスト)

私はスポーツマンシップという言葉が嫌いだ。

何故かと言えば、スポーツマンが如何にも皆立派な人間であるかのように、長年この言葉が使われてきたからだ。

随分以前のことになるが、スポーツマンシップとは「健全な身体に健全な精神が宿る」というように説明・理解されていた時代があった。しかし、身体障害者の方々から、この"健全な身体に云々"の表現に異議申し立てがあり、意味の解釈表現が変更された経緯がある。

因みに最近の広辞苑を見ると、「正々堂々と公明に勝負を争う、スポーツマンにふさわしい態度」とある。

基本的に、スポーツマンとはより良き人間である、との解釈の上にこの言葉は成り立っている。他の辞書も多少の表現は違っても、おおよそ同じように説明されている。

しかし、スポーツマンにふさわしい態度とはどういう意味なのだろうか?

勝つために薬物を使用したり、最近は、オリンピックを始め、大きなスポーツ大会ではドーピング問題がついて回る。参加することに意義があるのではなく、相手や相手チームを何が何でも叩き潰し、メダルを取ることのほうが大事だ。だから、審判員をも金で買収しようとする。

日本の野球に例を取れば、高校野球でさえ、ホームランバッターだった松井選手は全打席四球で打たせてもらえなかった試合があった。これが、"正々堂々と公明に勝負を争う"事なのか、私は理解に苦しむ。西武ライオンズの松坂選手に至っては、路上に駐車違反をして逢い引きをしていた、という。そして、女との時間を楽しんでいる最中に駐車違反をとられると、事も有ろうに元スケート選手の広報担当黒岩氏が駐車違反の代替えとなったというのだから、何をか言わんやだ。

私は最低限の秩序も守れないこのような不条理な人間は、スポーツ界から永久追放して然るべきと、常々考えている。青少年に夢を与える野球なんてことがよく言われるが、ちゃんちゃらおかしい。

もっとも、最近のTVの女性キャスターはジャーナリストでなくなり、アイドル化してしまった上に、金見当てで男性スポーツ選手を漁っていることだし、報道もドラマ化し、その機能を低下させる中で、あまりモラリティーに関したことを突っ込めないのかもしれない。

優秀選手を移籍させて、開催県が国体で優勝をさらうのは当たり前だったが、今年はそれが無くなった。これは一つの進歩だと思う。

不正だらけのこの世の中で、せめてスポーツくらいはフェアプレイで明るく健康な精神でいてもらいたいものだ。

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◇スポーツの塩、スポーツの蜜
(岡崎満義/ジャーナリスト)

先日、日本スポーツ学会主催の「スポーツを語り合う会」で、「大学スポーツ」がテーマになった。東大、早大、慶大、明大、中大の先生・OBがパネリストとなって話は進められた。

今秋の東京6大学野球の早慶戦は、早稲田の優勝がかかっていたにも関わらず、早稲田の外野応援席には早大生はほぼゼロの状態だったと聞いて、大いに驚いた。母校愛などというものは、いまや雲散霧消してしまった、と嘆かれるわけである。母校愛のない大学と大学生とは一体何だろうか、と不思議に思うのだが、それは問題が大きすぎるので、大学スポーツにしぼって考えてみたい。

今回のパネルディスカッションでは、現場の問題点がいくつも出されて、それはそれで面白かったのだが、大学スポーツの理念にまで話が及ばなかったのは残念だった。

近年、プロスポーツ全盛時代を迎えて、大学スポーツの存在感がめっきり薄れてきたように思う。マスコミもあまり取り上げない。

大学スポーツの存在価値、存在理由は何だろう。

昔は、単純に母校愛だけでも大義名分が立ったようだが、その母校愛もすっかり色あせてしまった今、それに代わるものは何なのか。

大学スポーツはプロスポーツの予備軍、技術的には2軍か3軍的存在でしかなくなってしまった。

昔は、大学がアマチュアスポーツの中で中心的な存在であった。企業スポーツが衰退の一途をたどりつつある現在、大学スポーツはさらに独自の輝きを見せてもいいと思うのだが、一向にその気配はない。

しかし、考えてみれば、オリンピックが巨大化し、アマプロがオープン化されて、アマチュアの存在価値がどんどん下落しているのだから、大学スポーツが糸の切れた凧のように、あてどなく吹き流されてしまうのも、無理はないと言えるかもしれない。

オリンピックは、スーパーアスリートたちが最高の技術を見せる、磨きぬかれた自己表現の場であり、それこそがスポーツの最高の価値だと言われるようになった。つまり、技術的に低レベルのアマチュア選手に用はなくなったのだ。そういう技術(=マネー)至上主義が、大手を振ってまかり通ることになった。

スポーツの存在価値は、そういう一元的な技術至上主義だけにあるはずはない。人類が生んだ大切な宝物であるスポーツには、もっと多様な価値があるはずである。

今はオリンピック(=プロ)の価値観を頂点とするピラミッド型のスポーツ体系の中に、大学スポーツをはじめとするアマチュアスポーツは完全に従属し、低位の価値集団として組み込まれているとしか思われない。本当は、アマチュアにはアマチュアの、大学には大学の、独自の価値があっていいはずである。

プロスポーツを「スポーツの蜜」、と呼ぶならば、アマチュア・大学スポーツは「スポーツの塩」、である。地の塩というときの「塩」、である。

最高の技術集団としてのプロスポーツは、当人たちには巨額マネーという甘い蜜を与えてくれ、それを見る者には夢のような感動という蜜を与えてくれる。

少子高齢化時代の大学は、その地域の中核、知的コングロマリットとして存在する以外に、生きのびる道はないように思う。大学の中のスポーツも、いかに地域との結びつきを深めるかである。大学スポーツはキャンパス内に閉じた集団ではなく、地域に開かれた集団として機能しなければならないだろう。時折報じられる大学スポーツ部の不祥事も、密閉集団だからこそ起こる。小学生、中学生、ひいては高齢者たちまでがクラブ員になれるようなスポーツクラブが、大学の中に生まれてほしい。いわば、地域の中の老壮青幼の四結合としての大学スポーツクラブが、イメージ豊かに発想されなくてはならない。早稲田のスポーツがスポーツ用品メーカー「アディダス」と提携するのも、そのような開かれた視点からのものであってほしい。

そのような環境の中で、古い美徳として捨て去られた「母校愛」や「文武両道」に、「地域愛」も加えて、新しい光をあててほしい。地域の中で小学生や定年後の高齢者たちと、どうつきあっていけばいいか。スポーツと生涯つきあっていくライフスタイルを、そこで模索開発してもらいたい。

人生におけるスポーツの塩を求め、もっと言えば、自ら塩になるくらいの気迫がほしい。蜜ばかりで、塩のきかない社会がいかにダメなものであるか、身の回りを見るだけでよく分かる。

比喩的に言うならば、プロスポーツは「私の中の私」を探し、磨く旅であり、アマチュア・大学スポーツは「私の中のみんな」を探し、連帯する旅である。戦前の滅私奉公に懲りて、戦後「公」離れした「私」が、新しい「公」との関係をつくる―アマチュア・大学スポーツの存在価値は、そこにあると思うのだが、どうだろうか。

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