スポーツデザイン研究所
topページへ
topページへ
講演情報へ
オリジナルコラムへ
SPORTS ADVANTAGE
   「批評性」「評論性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る
最新GALLARY
photo
アイスホッケー 日本リーグ後期
  コクド×日本製紙クレインズ
(C)photo kishimoto
SPORTS IMPACT
  オリジナルGALLERY
vol.186(2004年2月4日発行)
【杉山 茂】「近鉄」は名称よりも中味を売って欲しい
【早瀬利之】タイでのジョニ−・ウォーカー・クラシックを観戦、日本選手は未だ「穴グマ」から起きない
【高田実彦】監督とベテラン選手
【岡崎満義】「なつかしい体育の先生」、出でよ!
【上村智士郎】“平山相太”に思う その一
vol.185 2004年1月28日号「トップリーグ初代王者」
vol.184 2004年1月21日号「日本女子バスケットボールの快挙」
vol.183 2004年1月14日号「有料独占放送の・・・」
SPORTS ADVANTAGE
無料購読お申し込み
オリジナルコラムを中心に当サイトの更新情報、スポーツ関連講座やシンポジウム開催情報などを無料配信しています。今すぐご登録下さい。
申し込みはこちらから
メール配信先の変更
ご意見・ご要望
「近鉄」は名称よりも中味を売って欲しい
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 「近鉄」バファローズが、05年シーズン以降に球団名を売却する、と発表した(1月31日)。

 「近鉄」が、という意味ではなく、こうした事態がいずれ起きることは予想できた。

 球団の経営に、パートナーを求められぬものか、とは、かなり以前から話題にされていたし、選手を“動く広告塔”とみて、ヘルメットなどの用具や、ユニフォームにスポンサー名を付けることへも、関心が高かった。

 ただ、名称権(命名権=ネーミングライツ)を与えてしまう、となると、これはパートナー、スポンサーの域を越えるのではないか。

 発表後、ほかの球団や球界関係者が、球団保有者の変更に当たるのでは、と疑問を投げかけたのも、このあたりにある。

 苦しい経営状況を打開するのに、高額と引換えに名称を与えるビジネスは、80年代、アメリカの自治体が不況に見舞われ、スタジアムやアリーナの維持のため考え出したとされる。

 日本でも、昨年、東京スタジアム(=味の素スタジアム)、グリーンスタジアム神戸(=YAHOO!BBスタジアム)が相次いでこの方法を採り入れ、この2場とはニュアンスが異なるがサントリー東伏見アイスアリーナという“冠(かんむり)施設”も生まれていた。

 マスコミが、その表記を受け入れるのか、とも云われたが、それ以前に、事情を知ってか知らずか、イチローのシアトル・マリナーズのホームパーク「セーフコ(保険会社)フィールド」を“連呼”していたのだから、国内のケースで、しかめっ面をするわけにはいかなかった。

 それはさておき、気になるのは、経営の見通しが暗くなると、安易に命名権ビジネスへ走ろうとする風潮だ。

 興味を示す企業にしてみれば、その施設がどのような事業計画を持ち、権利を得るだけの知名度アップと媒体価値が示されなければ、乗れる話ではない。運営の母体がプロフェッショナルでないまま、金のなる木だけ植えようとするのは間違っている。

 「近鉄」は、バファローズをどのようなチームにして、新たな道を歩もうとしているのか。名称よりも、まず“中味”−好内容のゲーム、ファンサービスなどを売って欲しい。

タイでのジョニ−・ウォーカー・クラシックを観戦
日本選手は未だ「穴グマ」から起きない
(早瀬 利之/作家)

 タイで行われたジョニー・ウォーカー・クラシックを観戦した。気温32度はタイにとっては一番しのぎやすい季節だが、湿度が高く、ヨーロッパ選手は暑さ対策に苦悩していた。

 ジョニ−・ウォーカー・クラシックは、アジアツアー、ヨーロッパツアー、オーストラリアツアーが合体してヨーロッパツアーに格上げされた。賞金総額は100万ポンド(約2億円)とビッグで、これにはヨーロッパツアーのトッププロが参加した。

 連勝をかけたアーニー・エルスは、暑さに崩れた。モンゴメリーも最終日の暑さと湿気に体力を消耗し、連続ボギーを叩くなど、集中力が切れていた。

 3日間トップを守ったのは、デンマークのビヨーン選手だった。同伴プレーヤーのヒメネス(スペイン)との一騎打ちとなり、抜いたり抜かれたりしての17番ホールで決着がついた。

 17番ロングホール。共に2オンを狙ったが、ビヨーンはティショットを池に入れて、5オンのパットのボギーを叩いて決着がついた。

 一昨年の日本オープンのチャンピオン、スメールは1打差に追い上げたが、最終ホールで3パットして崩れた。

 タイのベテランプロ・ルアングキットは4位タイに入って、バンコクの大ギャラリーを引き連れていた。

 すでに、ヨーロッパもアジアも、またアメリカツアーもトーナメント開催に入っているが、日本ツアーも選手もまだ「穴グマ」である。今大会には誰一人出場なし。早く動かないと、勝負のカンは鈍るだけである。

監督とベテラン選手
(高田 実彦/スポーツジャーナリスト)
 巨人の清原を好きではないが、堀内監督の清原に対するやり方は、どうみてもメチャクチャだと思う。宮崎の二軍からのスタートのことをいっているのではない。その扱い方に義憤を感じるのだ。

 堀内監督は清原をグアムからはずした理由をこういっていた。「グアムへはチームの練習メニューを100%こなせるものを連れて行く。開幕に100%になることを目標にしている選手は宮崎の二軍からスタートしてもらう。清原だって例外ではない」

 これを聞いてあきれた。キャンプ初日に「100%」とはどういうことなのか。キャンプに入るときに体が出来あがっていなきゃいけないというなら、キャンプなんかいらないではないか。時間をかけて徐々に体づくりをする場所がキャンプというものだろう。これを新人や若手に言うのならまだわかる。

 しかし35歳の大ベテランの清原に突きつける神経がわからない。これはイジメだ。

 大ベテランであるだけでなく、清原はFAで入れた、いわば「助っ人」だ。格としてはペタジーニやローズと同格の位置にいる選手といっていい。そのペタジーニは悠々と10日に宮崎に入るという。ローズだってまだ日本にきていない。

 たしかにペタジーニやローズはいくつものタイトルを取っていて清原は無冠の帝王であるが、この3人の立場は人種以外に違いのない「助っ人」である。それなのにこの扱いの差はどういうことなのか。これは人種差別だ。

 堀内監督はまた「一塁はペタジーニと清原の競争だ」ともいっている。競争させるのはいい。しかしそうなら余計、同じ条件でやらせるのが公正な対処というものではないか。清原は、よせばいいのに、痛い足を引きずって宮崎の二軍首脳陣が新人と若手のために行っている
 
 3000m走などをヒーヒーいいながらこなしているという。彼にとってはPL時代以来の長距離走だろう。

 一方のペタは、妖艶な年上妻と、きっとまだ優雅なオフを楽しんでいるはずだ。競争させるのなら同じ条件で、あるいは自己責任において体づくりも練習もさせるべきである。これは不公平な対処の仕方というものだ。元公正委員会委員長の根来新コミッショナーに聞いてみたいものだ。

 実は、清原以外にもムリを強いられている「助っ人」がいる。ダイエーからきた小久保だ。膝の手術後、初めて3000m走をさせられた。やらなきゃ沽券に関わる、と小久保はおっかなびっくりを隠して歯を食いしばって走った。彼は、自分独自に猛練習してきた男で、チームのメニューだとか監督の方針だとかに指示されて猛練習してきた男ではない。そんなものは二の次の強者だ。

 かつての巨人には、こういう堀内監督のようなトンチンカンな監督はいなかった。古くは川上監督は、一見厳しいばかりのように見られているが、ベテランには一目置いていた。あくまでも「力のあるヤツを使う」主義主張を貫いた。

 そのため「使い捨て」といわれたが、練習よりも実力を重んじた。長嶋監督ははっきりベテランを隔離して、別集団で別メニューでキャンプを過ごさせた。

 マスコミはそれを「テレンコ軍団」と呼んだ。二人とも「シーズンで働くことがキャンプの目標」と、規律以外は自主性に重んじていた。

 清原と小久保、さらには工藤、桑田らのベテラン連中は腹の中で、「バカ野郎、何にもわかっちゃいない監督だ」と毒づいているに違いない。
「なつかしい体育の先生」、出でよ!
(岡崎 満義/ジャーナリスト)

 1月24日に国士舘大学のホールで「21世紀のスポーツを見つめる」というシンポジウムが開かれた。主催は独立行政法人日本スポーツ振興センター。出席者は猪谷千春(IOC委員)、藍川由美(声楽家)、生島淳(スポーツライター)、岡崎助一(日本体育協会事務局長)、川原貴(国立スポーツ科学センター主任研究員)、山崎浩子(元五輪選手・スポーツライター)の各氏。私はシンポジウムの冒頭に30分ほど「問題提起」をして、その後パネリストとして加わった。

 シンポジウムの内容はやがて「スポーツ文化」という小冊子にまとめられることになっているから、そちらで読んでいただくことにして、シンポジウムで私が喋ったことを少し書いておこうと思う。

 小、中、高、大と16年間の学校生活を通して、私は今ふりかえって、体育と音楽になつかしいと思う先生がいないことに、改めて驚く。確かに、体育と音楽は国語、数学、英語、社会などのいわゆる主要学科といわれる課目より、授業時間が少なく、先生と触れ合う機会も少なかった。中学から高校1年まで野球部に所属したが、そこでも印象に残る先生には出会わなかった。

 根性を説く先生、技を教えるのに熱心な先生はあったが、人間のからだについて、からだと文化について、心技体について話をしてくれた先生はいない。

 50年以上も前の話である。まだ「スポーツ文化」という言葉はなかった。体育は知育、徳育と並ぶ教育の柱のひとつだ、と聞いたおぼえはある。

 近代スポーツは文明開化とともに、日本に輸入された。西欧諸国に追いつき追い越せ、富国強兵のための近代的なからだ作りとして、体育は学校教育の中に取り入れられた。その意味では昭和20年2月ごろだったか、国民学校2年生の私たちは、雪の積もった校庭で竹槍をかつぎ、裸足で1時間、クラス全員で先生を先頭にして歩かされたことが、国のためにからだを鍛えることを即物的に教えてくれた出来事として、今も鮮やかに思い出される「体育」の授業だった。

 「野球で民主主義を学んだ」といったのは、たしか寺山修司だったが、私が野球部で球拾いに明け暮れているとき、先生は「今の苦労に耐えることは、将来の人生に役に立つ」と俗流人生訓を垂れた。民主主義と野球、民主主義にもなぜ強いからだが必要なのか、そんな話はまるでなかった。

 知育、徳育、体育のうち、体育は教育の中であまり大事にされてこなかったように思う。せいぜい、体育は知育、徳育と並ぶ教育の柱であると、タテマエとして話される位だった。新聞社の運動部の地位が、政治部や経済部、社会部より低く見られていることに似ている。

 体育は知育と徳育をひとりの人間の中で結びつける要(かなめ)の位置にある。極論すれば、体育(音楽も含めて)がもっとも大切な教育だ、と言っていいのではないか。「スポーツ文化」より「からだ文化」について考えることが大事だと思う。それは「ナンバー・ワン」ではなく、「オンリー・ワン」の思想といってもいい。形骸化した国民体育大会は「からだ文化」という視点から、あらためて再構築すべきではないか。

 最近、中村敏雄先生の「スポーツの見方を変える」(平凡社選書)を読んだ。この中に書かれていることがキチンと身についた先生に、体育を習いたかった。そんな体育(音楽)の先生なら、あとになってなつかしく思い出すことができるだろうと思う。

“平山相太”に思う その一
(上村 智士郎/スポーツライター)

 間もなく始まるオリンピック予選の話題で賑わうサッカー界だが、その中で今、最も注目を集めているのが平山相太だろう。今年の高校サッカー選手権で優勝した国見高校のエースストライカーとして、歴代のゴール記録を塗り替える活躍した彼に、このところ新鮮な話題に乏しいサッカーメディアが飛びついた形だ。

 昨年12月にUAEで行われたワールドユース(20歳以下の世界大会)でも、大会当初の“スーパーサブ”的存在から、大会終盤にはエースストライカー的な存在にステップアップし、この大会の話題の中心となった。特に王者ブラジル戦で見せたヘディングシュートは、彼が世界的なレベルで通用する可能性を示唆するに十分なものだった。
 そのゴールの成果かどうかは分からないが、現在18歳の平山が飛び級のごとく23歳以下の代表であるオリンピック代表にも名前を連ね、一部のメディアからはすでに中心的な扱いを受けている。

 だが・・・。
「平山は大久保(嘉人:セレッソ大阪)や今まで私が見てきた他の選手と比べてみると、まだまだ体力的には弱さがある。できれば3、4年じっくりと育ててほしい」
 今年の高校サッカー選手権の決勝後の共同記者会見で平山の恩師、国見高校小嶺総監督が放った言葉である。

 平山の例をあげるまでもなく、近年高校サッカーの選手はフィジカル的なレベルが低下している。その一つの原因には、「最近の高校生は以前に比べて厳しい練習に耐えられなくなった」と小嶺総監督が話すように、現代の高校生の気質にある。国見高校に限らず高校サッカーのトップレベルの指導者は異語同音、同じことを話している。

 だがもう一つのもっと大きな要因ある。Jリーグ開幕がしたおよそ10年前、Jリーグの関係者は口を揃えて「高校サッカーの指導は選手の将来を考えず、高校選手権に勝つことだけを目指す勝利至上主義だ」と高校サッカー界を避難した。
 そしてこの10年、高校サッカーの指導者はこれに応え、指導方法を大きく転換した。その最たる点がフィジカルトレーニングの軽減である。成長期に過度のフィジカルトレーニングを重ねることの将来へのマイナスは計り知れないからだ。

 例えば、現在トップクラスの高校チームでは、自重以上の負荷をかけたフィジカルトレーニングをするチームは数少ない。高校サッカー界ではフィジカル的に他を圧倒している国見高校でさえ「昔比べると走る量はかなり少なくなっている」(小嶺総監督)という。10年前選手権で初優勝した時、体力面で他校を凌駕した市立船橋高校も同様だ。当時と比較にならないほどフィジカルトレーニングに割く時間は減り、今年の選手権で平山同様注目を集めたカレン・ロバートは、「身体的に将来どんな風にフィジカル的に大きくなっていくか分からないから、3年間全くフィジカルの強化を行っていない」(市立船橋高校:曽我コーチ)と、個々の選手の資質を鑑み、必要以上にフィジカル的な負荷をかけることを極力避けている。

 高校サッカー界は、Jリーグそして日本のサッカー界の要求に応え、新しい道を歩んでいる。だが、それ受け入れるJリーグ、代表はどうだろうか? まさに今、かつて彼らが高校サッカーを非難した“勝利至上主義”の道を進もうとしている。現在の平山の扱いを見るとそう思わざるを得ない。
 もちろん、平山がオリンピックで活躍する姿を想像するのはとても楽しいことが、そのことが将来性豊かな逸材の未来への道しるべになるとは限らない。 

 今春、平山はあまたあったであろうJリーグからの誘いを断って大学に進学をする。それは小嶺総監督が、愛弟子を“潰されない”ために用意した道なのかもしれない。



最新号
Back Number
2004年
vol.185(01/28)
vol.184(01/21)
vol.183(01/14)
vol.182(01/07)
2003年
vol.181(12/26)
vol.180(12/19)
vol.179(12/17)
vol.178(12/12)
vol.177(12/10)
vol.176(12/ 5)
vol.175(12/ 3)
vol.174(11/26)
vol.173(11/19)
vol.172(11/12)
vol.171(11/ 5)
Vol.170(10/29)
Vol.169(10/22)
Vol.168(10/15)
Vol.167(10/ 8)
Vol.166(10/ 1)
Vol.165( 9/24)
Vol.164( 9/17)
Vol.163( 9/10)
Vol.162( 9/ 3)
Vol.161( 8/27)
Vol.160( 8/20)
Vol.159( 8/13)
Vol.158( 8/ 6)
Vol.157( 7/30)
Vol.156( 7/23)
Vol.155( 7/16)
Vol.154( 7/ 9)
Vol.153( 7/ 2)
Vol.152( 6/25)
Vol.151( 6/18)
Vol.150( 6/11)
Vol.149( 6/ 4)
Vol.148( 5/28)
Vol.147( 5/21)
Vol.146( 5/14)
Vol.145( 5/ 7)
Vol.144( 4/30)
Vol.143( 4/23)
Vol.142( 4/16)
Vol.141( 4/ 9)
Vol.140( 4/ 2)
Vol.139( 3/26)
Vol.138( 3/19)
Vol.137( 3/12)
Vol.136( 3/ 5)
Vol.135( 2/26)
Vol.134( 2/19)
Vol.133( 2/12)
Vol.132( 2/ 5)
Vol.131( 1/29)
Vol.130( 1/22)
Vol.129( 1/15)
Vol.128( 1/ 8)
2002年
Vol.127(12/25)
Vol.126(12/18)
Vol.125(12/11)
Vol.124(12/ 4)
Vol.123(11/27)
Vol.122(11/20)
Vol.121(11/13)
Vol.120(11/ 6)
Vol.119(10/30)
Vol.118(10/23)
Vol.117(10/16)
Vol.116(10/ 9)
Vol.115(10/ 2)
Vol.114( 9/25)
Vol.113( 9/18)
Vol.112( 9/11)
Vol.111( 9/ 5)
Vol.110( 8/28)
Vol.109( 8/22)
Vol.108( 8/14)
Vol.107( 8/ 7)
Vol.106( 7/31)
Vol.105( 7/24)
Vol.104( 7/17)
Vol.103( 7/10)
Vol.102( 7/ 3)
Vol.101( 6/26)
Vol.100( 6/19)

100号記念メッセージ

150号記念メッセージ


Copyright (C) Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。 →ご利用条件