1月22日から26日まで、白馬と札幌でノルディックスキー・ジャンプと複合のW杯日本シリーズが行われた。天候に恵まれたのは22日の複合だけで、あとは激しい降雪に強風、さらにはあられと、遠路はるばるやってきた欧州の選手にも、楽しみに待っていた観衆にも辛い試合の連続となった。 ジャンプは、白馬ではオーストリアの新鋭18歳のナギラーがW杯初優勝。札幌ではヨケルソイとペテルセンという、今季の台風の目、ノルウェー勢が連勝した。ドイツがトップチームを派遣しなかったとはいえ、今季絶好調の2カ国オーストリアとノルウェーの、しかも新しい名前が優勝したことは、いかにも今季を象徴していた。 リレハンメル五輪後、暗闇の中でもがいていたノルウェー・ジャンプ陣は今季、フィンランドから優勝請負人ミカ・コヨンコスキコーチを招いて大変身を遂げた。そのコヨンコスキ自身、「表彰台まで2年かかる」と思っていた選手たちの躍進に大いに驚いている。 コヨンコスキの腹心の一人、ノルウェー人のベルダルコーチによると、方針がはっきりと示されたことだけで選手たちは大きく変わったという。もがけばもがくほど落ちる数年間で、選手はコーチも協会も信じることができず、自信のかけらさえ持つことが出来なかった。 そこに乗り込んできたフィンランド人コーチは、簡潔な英語で「これだけ守れば大丈夫」と繰り返した。フィジカルトレーニングの質を変え、踏み切りテクニックを教え、各自に合った用具を選びなおした。そして夏の間中、この守るべきラインを守ることだけに集中した。それだけでまた競技力を取り戻せたというのだ。 どの選手に訊ねても、このアシスタントコーチと同じ答えが返ってくる。チーム全員に今季の方針が徹底されていて、同じことを考えている。羨ましい限りだ。 ノルウェーはジャンプの伝統国。日本も同じだ。伝統国ゆえの派閥争いに主導権争い、硬直化した協会、マーケティングの失敗による強化費の減少、他のジャンプ強国と国境を接していない、南北に細長く国内の連携が取りにくいといった地理的要因まで共通点は多い。自国開催の五輪に向けた強化の、負の遺産に苦しむ図式も一緒だ。自国人ヘッドコーチではまとめられぬとスロベニア人を招き、失敗したことまで同じ道を辿っている。 個人種目の強化は、チーム全体の競技力の向上があって初めてできる。日本は、白馬で宮平が表彰台に立って一息ついたかに見えるが、実は国際レベルで戦える選手が一人しかいない厳しい現実を突きつけられたにすぎない3試合だった。 7月末にやっと立ち上がった新体制は、関係者全員の話し合いに基づくものでも何でもなく、信頼と協力を得られぬまま10月からスタートしたナショナルチームは2ヶ月の遠征で音をたてて軋みながら帰国した。 企業が育て、ナショナルチームが預かって世界で戦うという図式が今大きく揺らいでいる。企業チームの存続が危ぶまれ、選手もコーチも来年の給料がどこから出るのか不安で仕方ない。企業チームとナショナルチームの関係も話し合いがつかぬまま、技術指導型のナショナルチームコーチは自分がどこまで口を出していいのか迷っている。 日本の競技スポーツの多くが似たような状況にある。が、ジャンプはヨーロッパに誇れるだけの伝統もあり、選手は身長では不利でも、才能では決してひけをとっていない。整備の行き届いた立派なジャンプ台もたくさんある。上昇への転換は、空を掴むほど難しいことではない。 ノルウェーの躍進は、示唆に富んでいる。 |