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【杉山 茂】経済効果活かす「スポーツの力」を
【高田実彦】跡取り不在の老舗
【岡崎満義】テレビに飼い慣らされた目


vol.196 2004年4月14日号「デビスカップに・・・」
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経済効果活かす「スポーツの力」を
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 新潟県統計課の調べによると、昨シーズンJ1への昇格を目指し健闘したアルビレックス新潟のホームゲーム22試合が、地元新潟へもたらした経済効果は約31億円4700万円にのぼったそうだ(4月15日、各紙)。

 スポーツの動きが、地域の活気に役立つのは、結構な話といえる。

 それをより具体的に、数量的にと、経済効果なる“測定”が行われるようになったのはいつからだろうか。

 身近なサンプルもある。プロ野球の優勝を記念したデパートなどのバーゲンセール。アメリカやヨーロッパのジャーナリストたちが物珍しそうに眺めていたところをみると、海の向こうで、こうしたサービスはないのだろう。

 80年代後半、大型スーパーに所属していた男子のロードレーサーが、国内マラソンで快勝した時、ゴールと同時にコース周辺の各店が一斉に値引きの売出しを行って賑った。テレビのニュースでも伝えられ、国内的にはまだ「アマチュアリズム」の気風が濃かった時代にも拘らず、“問題”とはならなかった。

 90年代以降は、スポーツに限らず地域でのイベントとなれば、経済効果をはじくのが当たり前になってしまった。

 気になるのは、スポーツ関係者がそうした数字に浮かれ、スポーツの持つ大きさ、深さを示したとばかりに酔う姿だ。

 大切なのは、経済効果にまで及ぶ盛り上がりを、いかにスポーツ側が保ち続けるかである。

 一過性のイベントや騒ぎで終わっては、スポーツの基盤の小ささ、浅さを露呈するようなものだ。

 大型施設の利用に悩んだり、国際大会を招いても、そのあといっこうに活性化へつながらなかったり、国体開催県が大会を終えるや一気に勢いを萎えさせてしまうのは、こうした欠陥が招くものだ。

 スポーツ効果がふくらんでこそ、経済効果も活きることになる。そのあたりの意識が日本は、まだまだ低い、といえるのではないか。

 アルビレックス新潟の蒔いた種がスポーツフィールドで、このあとどのように発育していくか、見守っていよう。

跡取り不在の老舗
(高田 実彦/スポーツジャーナリスト)

 監督が理想を追うのは当然だろう。しかし、その結果、選手を潰してしまう恐れが出てきた場合は、すみやかに理想を捨てて現状を直視すべきではなかろうか。

 巨人の堀内監督の「4番高橋由」起用である。

 堀内監督の高橋由4番起用の理由はこうである。「チーム生え抜きの4番をつくりたい」。その“御曹司”が高橋由だった。

 この理想はよくわかる。老舗・巨人としては松井秀喜に続く“跡取り”がほしい。4番が他チームからの輸入選手では暖簾にかかわるからだ。これが生え抜き監督の気持ちである。

 しかし、この期待に高橋由が応えられていない。9試合消化時点で打率は、打撃30傑の遥か下の39位で.139。無残である。不振の理由は、「4番」にあるとしかいいようがない。

 高橋由は、必死にホームランや長打を狙い打っているが、そのために彼本来のシャープな打撃が消えている。打率が身長より下になる打者ではあり得ないのだ。

 はっきりいうと、高橋由が、「4番に適した打者」になっていない上に、巨人が高橋由を4番にする「環境になっていない」のだ。

 4番に適した打者とは、かの落合博満(中日監督)によれば、「チャンスに凡退しても平然と、ベンチで『デカイ面』のできる選手。負ければ『オレが打てなきゃ負けて当然だよ』といえる選手。自分を『長男』と自覚できるようになった選手」である。これは他の4番経験者も言っている「4番の資質」だ。

 ところが高橋由は、これとはまったく違った資質の打者である。打者体質的には「二男」タイプで、切り込み隊長にはうってつけで、責任感が強く、反省が顔に出る方だ。

 だいたい、プロ入りするとき、「野球をのんびりとやれそうなチームに入りたい」とヤクルトと西武を希望していた野球楽しみ派。巨人入りは、父親の強い希望を聞き入れた結果だった。

 巨人に他に4番打者がいない環境なら本人も自覚する。しかし誰が見ても巨人には4番打者がゴロゴロいる。そういう連中に申し訳ないと気にする一方で、負けまいとする気骨もあるだけプレッシャーも余計に感じる。高橋由とはそういう好青年だ。

 高橋由は今年こそ首位打者候補の一番手だった。自分に適した打順で打っていたなら今頃30傑のトップにいることだろう。そういう天才打者を潰しているのが、巨人の4番という位置である。

 その点、長嶋監督は松井の4番起用に、まだるっこいくらい慎重だった。「1000日計画」といって、たっぷり時間をかけて4番打者につくり上げた。

 この先人に学ぶ必要がある。

 堀内監督は老舗の跡取りとして、お家の跡取りをつくることを考える前に、まず選手が実力どおりの力を発揮できるように配慮すべきである。監督に天才を殺す権利はない。

テレビに飼い慣らされた目
(岡崎 満義/ジャーナリスト)

 幸運にも、東京ドームでヤンキース対テビルレイズの開幕2連戦を見ることができた。お目当ての松井秀喜選手が大活躍して、まことに楽しい野球観戦だった。

 2日とも、席は内野2階席の中段、初日は一塁側、2日目は三塁側、大げさにいえば、スリ鉢の底を上から覗き込んでいるような感じだ。選手が小さく、遠い。投手の投げる球は何とか追えても、バッターが打った球が瞬時にハッキリと見えない。年を取って、目が悪くなったことを実感する。

 打球が見えにくいだけでなく、何かが足りない。いつもなら右翼席から、のべつまくなしに耳をろうせんばかりの鳴りもの応援があって、少しは静かにしてくれ、と言いたくなるのが、この日は、いつか巨人の桑田投手が提案した「球音を聞く」こともできて、ありがたかった。

 いうことなしのナマの野球観戦だったはずなのに、何か物足りないのである。

 何だろう、と考え、気がついた。いつもテレビでゲームを見ているときの、1人1人の選手のクローズアップされた顔が見えないのである。投げた、打った、走った…その時々の選手の表情が、望遠カメラでくっきりと映し出される。大げさに言えば、1つ1つのプレーの句読点として、クローズアップされた表情を見て気分的に落ち着き、ゲームの攻防のメリハリがついた気になって安心するのだ。

 テレビの画面には、試合中にダイアモンドの中にいる9人の選手が全てうつることはまずないといっていい。肉眼の180度の視野にくらべれば、カメラの視野はずっと狭い。大半の画面は、投手・捕手・打者で、後は打球を追ってそれを処理する選手がうつるだけだ。数人しかうつらない「部分」的な画面をおぎなうのが、選手のクローズアップされた顔なのである。

 これに対して実際に足を運んで球場に行けば、いやでも全体が目に入ってくる。早い打球が見えにくければ、打球音と野手の動きで打球の方向を判断するしかない。全体を見るには、かなりの集中力を必要とする。選手の表情がくっきり見えない分、選手の全身の姿から、ヒットを打ったり、三振をとったりしたその喜びを読みとる。ホームランを打たれてガックリ肩を落とす姿や、凡打してうつむいてベンチへ戻る姿から、選手たちの喜怒哀楽、心の動きを読みとるしかない。しかし、打者によって守備位置が微妙に変わるのは、肉眼ならばこそ、見える。

 とにかく、試合に集中して見ていなければ、何も見えてこないと言っていいだろう。五感をフル活動させて見ることを、ナマのゲーム、選手たちは要求するのである。

 テレビは目で見るだけでよい。見ようと努力しなくても、目にうつる。ナマの観戦は全身の五感で見なければ、十分に見えない。カメラで切り取られた「部分」は、目だけで見ることができるが、「全体」は五感で見るしかない。

 テレビのクローズアップ手法に慣らされた目は、ナマの試合の遠く小さな「全体」に不満を覚え、何か物足りなさを感じてしまうことになった。テレビに飼い慣らされた自分を感じる。

 「部分」をつみ重ねて見えてくる試合と、「全体」を見るしかないという見方で見る試合とは、ひょっとして別物なのではないか。どちらが真実の試合か、と問うても仕方がない。ただ、別物を見ているのだ、と意識する必要はあるかもしれない。五感で見ることの困難・苦労と、それに見合うだけのひそかな快楽を忘れて久しい。



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