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ピエール・ド・クーベルタン伯爵 銅像
オリンピックミュージアム/ローザンヌ(スイス)

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vol.200(2004年5月19日発行)

【杉山 茂】「7回制」のベースボールへの興味
【高山奈美】オリンピックにも託児所を
【岡崎満義】がんばれ、地方競馬!
【岡 邦行】東都大学野球春季リーグ戦
【高田実彦】プロ野球について感じるところ

vol.199 2004年5月12日号「サッカー選手の体力・・・」
vol.198 2004年4月28日号「スポーツ界の連係・・・」
vol.197 2004年4月21日号「スポーツの力・・・」
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「7回制」のベースボールへの興味
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 4月に高砂市(兵庫)で行われた社会人野球大会は、全試合とも「7回」で行われた。

 参加12チームが、いわゆるクラブチーム中心で、そのための“対策”かと思えたし、硬式野球の社会人クラブ育成の“施策”かとも思えた。

 ところが、どうもこれは「7回」制の採用を図る“実験”の1つだったようだ。

 「7回制は、クラブにとって1日2試合を前提とするなら賛成だ」と7チームがアンケートに答えたことが、これほど各紙で報じられたのである。

 社会人球界は、次々と企業チームが活動を休止し、都市対抗優勝チームさえ、その年に廃部が明らかにされたほどだ。

 硬式愛好者がクラブに集まりはじめたものの、厚い選手層を整えることは望むべくもない。
そこで、クラブ部門は「7回」で、という苦肉の策が考え出されたのだ。

 それはそれでいい。高校野球の熱狂の割には、硬式の社会人チームは、これまであまりにも少なかった。成年の硬式野球は学生界かノンプロ(企業球界)か、セ・パ両リーグに限られていた、とさえいえる。不思議ではあった。

 ところで、この「7回」制、いっそ総ての分野で“実験”してみたらと皮肉まじりの声も少なくない。

 プロ野球の時間お構いなしのような「9回」制は、テレビ局の番組編成を悩ますばかりではない。

 ナイトゲームの見物は帰宅時間を気にして、エンジョイどころではない。

 アメリカのスポーツビジネス最前線に近い友人は「大リーグのオーナーのなかには、7回説を唱える人が少なくない」と教えてくれた。

 7回ならば、投手陣を先発―中継ぎ―抑え、とかかえなくてすむし、完投型が増えれば助かる。野手の控えも少なくていい。人件費が球団経営を圧迫する現状からすれば、なんと効率的、合理的か、と―。

 日米では、ニュアンス、レベルとも違いすぎるか、不動に思えたベースボールの規則に、変革の風が、まったく吹き込んでいないわけではないことが興味深い。

 さて、「スポーツアドヴァンテージ」も、最初の配信から今週で200号。約4年間に内外スポーツ界は、いくつもの大きな揺れをのぞかせ、刷新を求めて動いた。

 立ち止まらないスポーツ界をこれからも望み、そこに注目のペンを走らせたい。いつまでもご愛読を―。

オリンピックにも託児所を
(高山 奈美/スポーツライター)

 ハンドボール女子の日本リーグで、もっか6連覇中の広島メイプルレッツの監督兼選手を務める林五卿が、アテネオリンピック出場を悩んでいる。彼女の話しを聞いていくうちに、女性スポーツが新たに抱えるべき課題が隠されているように感じた。

 1992年のバルセロナ、1996年のアトランタで名センターとして韓国を金メダルに導いたあと、林は一時ナショナルチームを引退。

 しかし、その後、若手選手の育成に失敗した韓国は2000年シドニーオリンピックの直前になり、林に代表へのカムバックを要求した。このときはまだ林自身もオリンピックに憧れや魅力を感じており、出場を了承するつもりだったのだが、結局、林の妊娠が発覚し、出場を辞退せざるを得なかった。

 ところが、2004年のアテネオリンピックを前に、出産を終え日本の第一線に戻っていた林に、再び白羽の矢が立った。

 ミッションはオリンピックの予選を兼ねた世界選手権。林は日本に残した広島メイプルレッツと愛娘に後ろ髪を引かれる想いでクロアチアへと旅立った。

 このとき味わったチームと愛娘との長い別れは、林にとって二度と経験したくないほど辛いものだったという。そして、この気持ちことが、いま、林のアテネ行きを悩ませている。

 「オリンピックに気持ちが向かない。今はメイプルレッツと娘のほうが大切」と、オリンピックへのテンションは相当低い。

 林とともに代表復帰を要請されている同メイプルレッツの呉成玉のトーンも同じように低い。こちらも小学生の愛息をかかえて長い間の留守はしたくないというのが本音だ。

 とくに経験が大きくものをいう球技スポーツにおいては、ベテラン選手の活躍は必須である。日本では余り例がないものの、欧米では母親プレーヤーの姿は珍しいものではない。そんな選手らの抱える悩みは異口同音に違いない。

 オリンピックなどの国際大会にも育児所、託児所がほしいという声が聞こえて来る日も近いのではないだろうか−。

 子育てがネックとなり、スーパーウーマンたちが出場を辞退するようなことになっては、4年に1度の祭典もつまらない。

がんばれ、地方競馬!
(岡崎 満義/ジャーナリスト)

 地方競馬の廃止がつづいている。長年の放漫経営のツケが回ってきた。不況がつづく中、競馬場に足を運ぶ人も少なくなり、何よりも地方財政の悪化が競馬への補助金打切りとなって、命脈を断たれる地方競馬が増えてきたようだ。

 地方競馬がなくなるということは、庶民の娯楽のひとつがなくなることであり、またそこで働く調教師、厩務員、騎手、装蹄師、獣医師、警備員、ひいては飼い葉栽培農家など多くの人たちの職場、仕事がなくなるということである。深刻な雇用問題が発生する。

 先頃、第14回ミズノスポーツライター賞の優秀賞に決まった「『高知競馬』という仕事」(高知新聞社会部)は、苦境に立つ地方競馬の現状を鋭く抉った出色の長期連載レポートであった。高知競馬だけでなく、全国の地方競馬に出向いて、現場の人たちから丹念に取材している。類書もないのだろうが、引用というものが殆どなく、全て“現場取材”という新鮮な、“イキ”のいい作品に仕上がっている。

 地方競馬はあらゆる意味で、華やかな中央競馬の受け皿、いや“吹き溜まり”のような存在である。中央で故障した馬を再生して走らせたり、哀感漂う中にも地方競馬の職人の意地が垣間見えて、読んでいて気持ちがいい。

 地方と中央、零細企業と大企業、ブルーカラーとホワイトカラー…という日本社会の深層にある二重構造が、競馬という舞台にもまちがいなく存在することを、この作品は教えてくれる。

 さらに言えば、この問題の奥にはテレビという巨大なローラーが、日本中をくまなく平均化する方向でならしてしまい、地方(文化)の特色が消されていくという事情もあるだろう。

 そんなところに一見、救世主のように現われた“連敗王”ハルウララは、さて、どれだけ地方競馬にカツを入れることができるのだろうか。根が深い問題だけに、容易なことではあるまい。

 がんばれ、地方競馬! 私が習っている漢詩の先生の最近作「ハルウララ七言絶句」をご紹介して、エールとしたい。

 土州(セイ)馬名春麗     ※セイ:文字対応不可
 百戦輸贏空奮励
 一旦扶桑挙世騒 
 半希汗血馳天勢

 これに私のパロディ訳をつけさせてもらうなら―

 高知に馬あり 名はハルウララ
 駆けても駆けても 勝てないけれど
 ひたむきさには みんなが拍手
 いつか1勝 その日は夢か

東都大学野球春季リーグ戦
(岡 邦行/ルポライター)

 東都大学野球春季リーグ戦。私が取材をつづけている日大が開幕8連勝で勝ち点4とし、最終週を待たずして優勝を決めた。優勝を決めた瞬間、私は日大ベンチに駆け込んだ。監督の鈴木博識(ひろし)と握手を交わしながら聞いた。

 「あれ、鈴木さん、泣いてないじゃないの?」
 
 そういう私に鈴木は、苦笑しつついった。

 「岡さん、今回は涙ではなく、鳥肌がたちましたねえ」
 
 その鈴木監督に鳥肌をたたせる活躍をしたのが、左腕エースの那須野巧(なすの・たくみ)だ。なにせ春季リーグでは8試合中6試合に登板し、そのうち4試合に先発して負けなしの4勝。
 
 投球回数40回3分1で防御率は0・45を誇っている。自責点は2。192センチの長身から投げ下ろすMAX148キロには計り知れない可能性が秘められている。もちろん、今秋のプロ野球ドラフト会議の注目選手になることは間違いない。現在のところ5球団が自由獲得枠候補として獲得の意思を表明している。
 
 で、那須野巧は、いかなる投手なのか。その性格は? とっておきのエピソードを伝えたい。
 
 たとえば、1年前の春季リーグ戦。鈴木監督率いる日大は、初めて1部リーグの最下位となり、2部優勝チームの専修大との入れ替え戦に臨んだ。結果は2勝1敗。かろうじて日大は1部リーグに残留した。
 
 その東都大学野球リーグ入れ替え戦で、史上初の3試合連続完投を演じたのが那須野だった。3試合での投球数は、実に428球。那須野は一人で投げぬいたのだが、私をあ然とさせたのが、1勝1敗で迎えた3戦目。それも1点ビハインドのスコアは0対1。あとがない9回表、日大最後の攻撃のときだった。

 那須野は、ベンチ裏の部屋に足を運んだ。そして、192センチの躯を折り曲げるように水道の蛇口とシンクの間に頭を突っ込み、なんと頭を洗い始めたのだった。試合中、それも負ければ2部落ちしてしまうという土壇場のシーンで。試合後に那須野は、私にいった。

 「単に頭をすっきりさせたかっただけです。いつもシャンプーとリンスは携帯していますから」
 
 9回表に日大は2点を上げて逆転。頭をすっきりさせた那須野は、9回裏を難なく抑えたのだった。
 
 もうひとつ。専修大との入れ替え戦での那須野は、ピンチの際も終始冷静だった。いや、私にはピンチを楽しんでいるように見えた。ときにマウンド上で笑顔を見せていた。これまた試合後に那須野はいった。

 「岡さん、専修大のブラスバンドは、チャンスのときにTHE BOOMの『風になりたい』を決まって演奏していましたよね。あの曲、大好きなんです。だから、ピンチになると敵が自分にエールを送っているように思えた。思わず口ずさみました」
 
 私は、那須野に聞いた。那須野は自分の性格をどう思っているのか? と。

 「自分は、文科系人間というよりも理数科系人間。冷静沈着? たしかに自分は、いつも冷静な気持ちを保っていられるように心掛けています」

 “戦国東都”を制した日大は、6月8日に開幕する大学選手権大会に出場する。目標はひとつ。日本一だ。私は、鈴木監督の泣き顔と那須野の笑顔を見たい。

プロ野球について感じるところ
(高田 実彦/スポーツジャーナリスト)

 アテネ五輪まであと1ヶ月半になった。このほど女子バレーも出場を決めた。ソフトボール、サッカーなどと並んで「女子で日の丸」の期待がどんどんふくらんでいる。

 そういう“希望”を見るにつけ、私が仕事で関係するプロ野球について感じるところがある。プロ野球には希望がないのである。

 プロ野球界は8月の五輪期間中も平常の開催をするという、ずっと前に決めたままでいくというのだ。先ごろのプロ野球の視聴率が女子バレー予選に負けたというのに、何も考えていないのだ。

 だいたいこの時期のプロ野球は甲子園の高校野球に食われてしまうのに、今年はその上五輪があるのだ。球場へ来るお客さんが少なくなって、テレビ視聴率も惨敗するのが目に見えている。見えているから「困った、弱った」と泣いているだけである。

 今からでも遅くはない。プロ野球には「やれること」があるのだ。いまさらペナントレースを休止しろといってもできない相談だろうから、せめて「できることをやれ」といいたいのだ。

 やるべきことは、五輪の期間、つまり夏休み期間中を「子どもフェア」にすることである。
そのためにまずデイゲームにする。これはできる。主催団体は球場を一日中借りているのが通常であるから、開始時間を早めることなど朝飯前のはずである。

 真夏でもドーム球場は冷房で快適な温度にすることができるのだ。

 それと併行して、子どもの入場料金を極安にする。200円でも300円でもいいじゃないか。一緒に来る大人も大幅に安くする。これもできることだ。だいたい、五輪に出るスター選手が4人(両チーム合わせて)もいない試合を、通常の高い料金で見せようという了見が間違っている。

 売店の弁当や飲料などを激安にする。球場内の弁当などはほとんど一般商店の2倍から3倍の高値である。これを“世間並み”にする。これもできることだ。

 そうやって、普段球場へ来られない子どもたちが友達同士で来られるようにする。母親が子どもを連れて球場へ来やすくする。夏休みにドーム球場へ来た子どもは、一生の思い出になるだろう。

 アテネ五輪の主競技は、日本の夜、つまりプロ野球のナイターの時間帯が多いのだ。これはもっけの幸いである。昼は日本のプロ野球。願ってもない夏休みになるではないか。

 いま都会で「やる野球」は重大な危機に瀕している。子どもが野球をやるチャンスも場所も年々少なくなっているのだ。だから、「やれない」なら、せめて「見るファン」になってもらうことを、野球関係者は考えなければいけない。ファミコンの野球ゲームに頼っていては、野球の未来は暗い。

 そういう意味で、真夏の五輪は、プロ野球の絶好の“ファン拡大”の時である。このことをはっきり認識して、今からでもやれることをやってもらいたい。プロ野球選手会も主張したらどうなんだ。これが一野球好きの私の提案である。

 


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