作家の赤瀬川隼氏が朝日新聞(5月14日付)のゼロサン時評で、最近のテレビのスポーツ番組などでアナウンサーやキャスターが、選手の技術の「進歩」や「成長」のことを「進化」するという言葉を使い、大げさであると同時に意味も違ってくる、というようなことを指摘されていた。 これを読んで私は少々嬉しくなった。 というのは、私も常々最近のアナウンサーやキャスターの言葉づかいには、不快感を持つ一人だからだ。 赤瀬川氏は松井秀喜とイチローの「対決」というのも、チーム同士やピッチャーとバッターは対決するが、彼らは二人とも外野手であり対決することはなく、不正確だと述べられていた。 大げさで不正確な表現の最近の代表格は「搭載」ではないかと思う。コンピューターなどに何々が搭載などと説明しているが、搭載は大きなエンジンなどが飛行機などに設備されていることを意味する。 スポーツ番組に限ることではないが、最近はやたらにカタカナに置きかえた外来語を多用したり、大げさな表現が多すぎるように、私も思う。 特に外来語(多くは英語だが)には和製英語も多く混在したりして、正しくない表現がいくつもある。 野球のナイターはさすがに使われなくなり、正しい表現の「ナイト・ゲイム」が近年は使われるようになった。 しかし「デッド・ボール」は未だに健在であるが、英語にはこのいい方はないし、同じ意味の単語も熟語もない。投手の投げたボールが当たった(hit
by a pitch ball)、と説明しなければならない。 「ビハインド」も最近よく耳にするが、現在一点ビハインドです、などとわざわざ英語の単語を使う必要もないような気がする。 困ったことには英語で外国人と話をするときに、日本語化しているカタカナ英語を使うと、全く通じないことだ。 随分前のことになるが、元巨人軍のウォーレン・クロマティ選手を外国特派員協会の昼食会に招いた際に、彼がスピーチの中で「日本人はシュートなんておかしな発音で英語を使うから、首都高速道路かと思った」と茶化していたことがあった。 尤もこの語を含めて、外国語を正しい発音通りにカタカナで表現することはとても出来ないし、我々日本人はどうも外国語の発音には向いていないようだ。 最近サッカーの試合中継を聞いていると、得点の際にアナウンサーが「ゲットーーーーーーーー」と大声で長々と叫んでいることがよくある。 ナチス・ドイツ時代のゲットーでもあるまいに、と思っていたが、「ゲットする」(実際にゲットとは発音しないが)は一般の人達の間でも普通に使われているようだ。 外国語を使うと“かっこいい”と感じるのだろうが、私自身は日本語の語彙不足を外国語で逃げていることもあり、反省もしている。 最近のカタカナ表記の違いでは、今年のマスターズの優勝者“ウィア氏”を在京の大新聞でさえ“ウエア”と表記してあったりして、驚いた。 スポーツには関係ないが、暫く前の朝のテレビ番組で生け花の話の途中、「それではこれからライブでやって頂きます」とキャスターが言っていた。 また、ラジオ番組で古本屋からの生中継を聞いていたら、「本の題名にスウェターと書いてありますが、昔はセーターをこう言ったのですかね」とのリポートだった。 実は“スウェター”がより正しい発音であるにも拘わらず。 |