6月8日、2年ぶりに神宮球場へ行った。 ヤクルト対阪神第14回戦は、久保田(神)、ベバリン(ヤ)の両先発投手が好投して、引き緊ったいい試合になった。 結果は延長11回、ヤクルトのサヨナラ勝ち。梅雨入り前の、初夏を思わせる風に吹かれながら、そしてビールを飲みながら、4時間のゲームを楽しむことができた。
その日、阪神が2位巨人に9ゲームの大差をつけて独走中だったから、球場は虎キチファンが多いだろうとは予想していたが、いや、ほんとに驚いた。スタンドの8割以上が黄色い阪神ファンで埋まったように見えた。
ヤクルトファンはライトスタンドの一部、遠慮がちに応援していた。一塁側の内野スタンドも阪神ファンが圧倒的だ。まるで東京甲子園と呼びたいくらいだった。
フランチャイズ制って何だろう。 プロ野球は70年近い歴史をもっているが、このフランチャイズ制は中々根付かない。 長嶋茂雄さんと話し合いをして分かることは、巨人は東京にフランチャイズを置くチーム、という意識はまったくないことである。昔の参議院の全国区という意識である。「全国3000万のファンのビビビッが背中に伝わって…」という。
それに唯一対抗できるのが、タテジマのユニホームの阪神タイガース。甲子園球場はアメリカ大リーグに似た雰囲気で、モーレツな地元チームの応援風景が、いつでも見られる。六甲おろしの歌、7回の風船飛ばし、タイガースならではの名物風景だ。
しかし、東京の神宮球場が甲子園と化すとは、想像もできなかった。阪神の貸切り球場になったかと思われた。こんなに阪神の追っかけがいるの。それに歯が立たないほど、ヤクルトファンはヤワなのか。
この日、私はバックネット裏の2階席でグラウンドを俯瞰するかたちで試合を見たのだが、周りはすべて阪神ファンで、阪神の攻撃が始まると、大声で選手の名前を叫び、プラスチック製のメガホンを打ち鳴らし、津波のような六甲おろしに洗われて、私はほとほと疲れた。
大リーグの試合のテレビ中継を見ていると地元チームに対する応援と、相手チームに対する無視、ないしブーイングは、実にはっきりしている。 巨人が“全国区”というのは、親会社が新聞・テレビということでも、もともと中央志向の強い日本人の国民性のようなものが感じられて、分からないでもない。
イチローが大リーグ入りして初めて、テレビを通してイチローの凄さを見た人が多いだろう。それぐらい、テレビ、ラジオの試合中継は巨人に偏っていて、オリックスなど“弱小球団”は、年間数試合程度しか、放映がなかった。 プロ野球は地動説ではなく、巨人を中心にした天動説の古界だ。
中で阪神タイガースだけが、別の惑星のようではないか。フランチャイズ制を乗り越えて、他球場まで乗っ取るのだ。要するに、日本プロ野球のフランチャイズ制は、巨人と阪神の存在が大きなカベとなって、いつまでたっても機能しない。
いい悪いの問題というよりも、これが日本型フランチャイズ・システムだ、と認めるべきなのか。プロ野球を反面教師として、地域密着型のスポーツを目指すサッカーは若い世代に支えられているだけに、ホームとアウェイの感覚がはっきりしているのだろう。
巨人・阪神の超フランチャイズ型のプロスポーツは、どこまで生きのびていくのか。案外、日本社会の変貌を正確に映し出す鏡の役割をしているのかもしれない。 |