薄曇りの日曜日の午後。東京・駒沢の陸上競技場。
彼は100メートルのトラックにいた。 小さな車輪のついた歩行補助具に座る形でかろうじて体を支えつつ、トラックに触れている両足の先でわずかに路面を蹴り、少しずつ、また少しずつ前へと進んでいく。 ちょっと進んでは下を向いて止まり、息を整えてからわずかな前進をする。そんな動きがずっと続いていた。
東京都の身体障害者陸上大会である。トラックの100メートルは、主に脳障害によって体が不自由な人々のクラスに入っていた。 このグループは人数が多く、いくつもの組が次々にスタートしていく。障害の程度はさまざまだった。 ハンディの少ないランナーがなかなかのスピードで走ったかと思うと、足の運びがかなり不自由な選手が、それでも一生懸命に進んでいき、また補助具や杖を頼りに100メートルを相当の時間をかけて歩いていく者もいた。
何組目かに、その若い養護学校生がいた。同じ組の他のメンバーがすべてゴールに入った時、彼はまだスタートから10メートルほどのところにとどまっていた。 すぐそばに付き添いの男性がいて、止まってしまうたびに声をかけて励ます。おそらく、ちょっとずつ地面を蹴るだけでも、ひどく疲れてしまうのだろう。必死の歩みはほとんど進んでいかなかった。 あまりに痛々しく、苦しげな姿に気づいたスタンドの関係者は、息をつめてトラックを見つめた。
その大会に出向いたのは、レベルの高いスプリントに挑む義足のランナーを見るためだった。それが終わった後の、ハンディの大きい選手たちのレースは、ただなんとなく眺めていただけだった。だが、その遅々とした歩みを見つけた後は、もう目を離すことができなかった。
見ている方がつらくなるような光景だった。 しかし、彼は前進をやめなかった。すぐに止まってしまっても、付き添いの励ましの声に後押しされるように、また足でトラックを蹴った。いつ終わるともわからない彼の100メートルは、ひどく痛々しく、が、どこかに見る者をひきつけるものを秘めていた。
スタンドには関係者とひと握りの観客がいるだけだった。彼の戦いに気づいた者たちは拍手を送り、「頑張れ」と声を張り上げた。時にトラックからはみだしそうになり、しばしば小休止をとりながらも、前進はやまなかった。
長い長い戦いは、それでもやっと終わろうとしていた。と、ゴールラインに歩行具の前の車輪がかかったところで、また歩みは止まった。トラック競技では、選手の胴体がラインを通過しなければゴールとならない。彼がまた動き出した時、見守っていた者は一様にほっと息をついた。
ゴール。ささやかな、だが、この日最大の拍手が湧いた。 彼はついに100メートルを進み切った。他の参加者たちと同じように、また疾風のように100メートルを走り切るトップスプリンターとも同じように、レースをフィニッシュしたのである。
計時担当役員にタイムを聞いてみた。いったいどれくらいの時間が過ぎたのか、見当もつかなかった。 「7分40秒でした」と役員は少し興奮した声で言った。彼もまた、計時の任に当たりつつも、この奮闘を力をこめて見つめていたに違いなかった。
障害者のスポーツを見ていると、息苦しくなる時がある。障害が重い人々が必死に頑張る姿は、時に目をそらしたくなるものでもある。が、じっと視線を据えていると、しだいに何ともいえない気分が湧いてくるのが感じられる。 勇気を与えられる、とでも言ったらいいだろうか。トライすること、そして、どんなことでもやってみれば道が開けるということを、彼らはいつも教えてくれる。 見終わった後、いささかでも元気が出るのは間違いない。勇気や元気をもらいたかったら、彼らのスポーツ大会に足を運んでみることだ。
7分40秒。 長い長い戦い。ゴールした彼がどう思ったのかはわからない。ただ、スタンドで見守った者は、それぞれに勇者のイメージを心に刻んだのではないか。
レースを終えた彼は、うつむいて苦しそうだった。家族や付き添いの者たちが肩を叩いて労をねぎらった。コップについでもらった冷たい茶を、彼はゆっくりと飲んだ。 素晴らしい味がしているに違いなかった。 |