Home
 
オリジナルコラムを中心とした当サイトの更新情報、スポーツ関連講座やシンポジウム開催情報などを無料配信しております。今すぐご登録を!
メール配信先の変更
ご意見・ご要望

最新号

■Back Number■

Vol.155( 7/16)
Vol.154( 7/ 9)
Vol.153( 7/ 2)
Vol.152( 6/25)
Vol.151( 6/18)
Vol.150( 6/11)
Vol.149( 6/ 4)
Vol.148( 5/28)
Vol.147( 5/21)
Vol.146( 5/14)
Vol.145( 5/ 7)
Vol.144( 4/30)
Vol.143( 4/23)
Vol.142( 4/16)
Vol.141( 4/ 9)
Vol.140( 4/ 2)
Vol.139( 3/26)
Vol.138( 3/19)
Vol.137( 3/12)
Vol.136( 3/ 5)
Vol.135( 2/26)
Vol.134( 2/19)
Vol.133( 2/12)
Vol.132( 2/ 5)
Vol.131( 1/29)
Vol.130( 1/22)
Vol.129( 1/15)
Vol.128( 1/ 8)
Vol.127(12/25)
Vol.126(12/18)
Vol.125(12/11)
Vol.124(12/ 4)
Vol.123(11/27)
Vol.122(11/20)
Vol.121(11/13)
Vol.120(11/ 6)
Vol.119(10/30)
Vol.118(10/23)
Vol.117(10/16)
Vol.116(10/ 9)
Vol.115(10/ 2)
Vol.114( 9/25)
Vol.113( 9/18)
Vol.112( 9/11)
Vol.111( 9/ 5)
Vol.110( 8/28)
Vol.109( 8/22)
Vol.108( 8/14)
Vol.107( 8/ 7)
Vol.106( 7/31)
Vol.105( 7/24)
Vol.104( 7/17)
Vol.103( 7/10)
Vol.102( 7/ 3)
Vol.101( 6/26)
Vol.100( 6/19)

100号記念メッセージ
150号記念メッセージ

■vol.156(2003年7月23日発行)

【杉山 茂】 一過性のオリンピック招致熱
【早瀬利之】 全英オープン、失格問題で、にわかに「ルール改正を」の声が昂る−カンタベリーにて−
【佐藤次郎】 考え直せ オールスター


一過性のオリンピック招致熱
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

7月15日に締め切られた2012年夏季オリンピック開催希望都市のリストに「大阪」の名はなかった。

届出の準備がまったくされずにいたのだから驚くにはあたらないのだが、2008年の誘致を、あれほど熱っぽく内外に働きかけていたのだ。さっぱりしすぎた撤退は、気になる。

日本のスポーツ界の“熱気”は、何ごとにも一過性だ。大阪の一件も、正にそれである。

北京を相手に、早い時期から不利を予想され、国際的には辞退を促すムードさえのぞいたが、大阪は、夢を追った。

国際オリンピック委員会(IOC)総会〜01年7月・モスクワ〜での投票結果は厳しかったが、日本のスポーツ界は、それだけの話、ですませて終えた。

オリンピック招致という大事業、難事業は、都市の意欲あってのものだが、国内オリンピック委員会を軸とするその国のスポーツ界のパワーも欠くことのできない要素だ。

大阪の財政事情など、社会状況の無視は許されぬが、この2年間、大阪と日本スポーツ界は、どれだけの“話し合い”をしたのだろう。

“再び”という気持ちを新たにさせる呼びかけは互いにあったのだろうか。

オリンピック開催都市の栄誉を得るには、その都市の知名度や情熱も大きく作用する。

1回で当選した「長野」(98年冬季)は、幸運に恵まれたケース、といってよく、「東京」(64年夏季)にしても、「札幌」(72年冬季)にしても、最初の立候補〜第2次大戦前を除く〜では、いずれも苦杯をなめさせられている。

大阪も、08年のあとを望みつづけていくのなら、12年、16年・・・と、「名と熱意を売る行動」が欠かせなかった。

それを支えるエネルギーを高めるのは“スポーツ側”である。

いつの時代も、オリンピックに限らず、どのイベントも、日本スポーツ界は、待ちの姿勢と外からのパワーにすがり、その機運へ乗って過した。

東京オリンピックから半世紀の間に、もういちど日本で夏季オリンピックを、という期待は消えた。「再び日本で」を目指すには、まずスポーツ人がリード役をつとめ、世論の輪を拡める姿勢を強めなければならない−。

注)IOC発表による2012年夏季オリンピックに開催の意欲を示した都市はハバナ(キューバ)、イスタンブール(トルコ)、ライプチヒ(ドイツ)、ロンドン(イギリス)、マドリード(スペイン)、モスクワ(ロシア)、ニューヨーク(アメリカ)、パリ(フランス)、リオ・デジャネイロ(ブラジル)の9都市。05年7月のIOC総会(シンガポール)で開催地を決定する。

PageTop


全英オープン、失格問題で、にわかに
「ルール改正を」の声が昂る―カンタベリーにて―
(早瀬利之/作家)

今年の全英オープン会場は、練習ラウンドの3日間は猛暑に苦しんだ。カンタベリーやサンドイッチ市内のレストランではビールが売れて、品不足となった。

ところが本番の試合開始日の17日は、雨と25mの強風に一変し、これまでの練習とはうって変わった悪コンディション。朝と夕方では、さらに天候が変化、猛暑と強風になり、グリーンではわずか30センチのパットでも、ラインが切れて外れる例がある。

また、強風のため、何度もティショットのアドレスを中止したり、股を開いて体重をおとすアドレスをとったりした。

だが、それでもバランスを崩して、9番ティグラウンドで20ヤード先のラフにチョロッたり、そこから4つの5つも叩いてフェアウェイに出すなど、地獄にはまったら足も抜け出せない状況が続く。

本命のタイガーは、ついに勝てなかった。ショートパットを外していた原因の1つは、ラインが100%読み切っていなかったせいもあるが。家庭内のイザコザに起因しているのではないか、と心配される。いつのもタイガーらしくなかった。特に後半9ホールの追い込みに負けた。これで3年連続して全英に勝てない。

ところで、M・ローが入口スコアカード提出のミスをしたため失格した。そのことで、地元のマスコミは、ルールを改正する時期にきたのではないか、というコメントを出している。「失格扱いでなく、2ペナルティ」にするとか、またはマーカーがいるし、オフィシャルのスコアマーカーもいて、記録されているのだから、スコア誤記しても数字に変わらないではないか、という論調である。

確かに、ルールは変えるためにある。故意の不正行為を止めるためのルールだが、「失格」と「ペナルティ」では大きな違い。2打罪なら、賞金が減るというペナルティを科せられるわけだから、それで充分ではないか、というわけである。

また、スコア提出方法だが「自分のスコアを自分でつけて、相手にこれでいいか」とチェックさせるシステムにする方法も検討課題である。

失格したM・ローは、死にたい思いで我が家に帰った。ちょっと酷すぎる話だ。

カンタベリーは今日も晴れ。延べ10万人近いギャラリーが、この町とサンドイッチを去り、モヌケの殻になった。

PageTop


考え直せ オールスター
(佐藤次郎/スポーツライター)

プロ野球のオールスターのテレビ中継を見ていて思った。本当に野球が好きなファンの視点からすれば、これはもう存在意義が薄いのではないか、と感じたのである。

以前も、本質的には変わらなかったのかもしれない。それほど真剣にオールスターを見てきたわけではない。しかし、選び抜かれた腕達者たちが、その抜きん出た力を見せるという趣旨が、年々薄れてきてしまっているのは間違いのないことだ。

近ごろはオールスターとなると、よく「力勝負」という言葉が登場する。速さに自信のある投手が、豪打を誇るスラッガーに直球一本の勝負を挑むというわけだ。これはいかにも「夢の球宴」のかけ声にふさわしい出来事のように受け取られているが、果たしてそうだろうか。

いくら速い球でも、ストレートしか来ないとわかっていれば、打ち返すのはさほど難しくはない(リーグを代表するような打者であれば)。ただ力まかせに投げ、ストレートを予測しているバッターがそれを強振するのは、本当の力勝負とはいえないし、真剣勝負でもない。

しかも、打った方も打たれた方もプレー中にニヤニヤと笑っているとなれば、どこかに違和感を感じないではいられない。持てる技術やパワーをすべてぶつけ合って、初めて「力勝負」の名にふさわしい戦いになるのではないか。

「日刊スポーツ」紙のコラムで、荒木大輔氏は、投手がノーマークで盗塁を許したことや、真ん中の速球をホームランされたシーンを取り上げ、「ファンはシーズン中のベストプレー、本来のパフォーマンスを見にきているのではないだろうか」「球宴を単にお祭りだけにしてはいけないのでは」と指摘している。まさしく、その通りだ。年に一度の楽しい祭りという趣旨もわかるが、それも、荒木氏の言う「ベストプレー」があってこそだろう。

熾烈な戦いが続くシーズン途中で開催されるオールスターに、本来の真剣勝負、ベストパフォーマンスを望むのが難しいのはわかっている。ただ、だからといって、ショー的な要素ばかりが強まるのでは、それこそオールスター本来の意義が消えていってしまう。

伝えるメディアの側も、華やかな表面だけを追いかけ、強調していては、かえってオールスターの衰退を招きかねない。テレビ主導のショーアップだけがエスカレートして、プレーそのものの魅力が失われていくようなら、熱心なファンは本当にそっぽを向くことになる。

PageTop


本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。 →ご利用条件